生体信号とAIを組み合わせると、心拍や体温などのわずかな変化から、本人が自覚するより前の体の異変や、人や動物の感情・状態を読み取れるようになります。
心拍変動による熱中症の早期検知、首の画像による嚥下障害のスクリーニング、イヌの情動の推定――機械学習は、医療や獣医学の現場で「見えない状態」を読み解く道具として実装段階に入りつつあります。
本記事では、生体信号解析と機械学習の応用研究に取り組む関西大学ビジネスデータサイエンス学部の丸野由希准教授へのインタビュー(聞き手:DEFiDE代表 山本)をもとに、生体信号×AIで何がわかるのか、最新の研究と技術の進歩、そしてAIに「何を探させるか」を決める人間の役割を解説します。
この記事でわかること
・生体信号×AIでわかることと、代表的な研究テーマ
・心拍変動(HRV)を使った熱中症の早期検知の考え方
・首の画像から判定するAI嚥下障害スクリーニングの仕組み
・少量データでも精度が出せるようになった機械学習の進歩
・AIに「何を探させるか」を決める「問いを立てる力」の重要性
関西大学 ビジネスデータサイエンス学部 准教授(取材時)。博士(工学)。京都女子大学現代社会学部の第一期生として、Rubyによるプログラミング教育に触れる。卒業後は企業の研究開発部門でITエンジニアとして6年間、社内システム開発やデータ解析に従事。奈良先端科学技術大学院大学情報科学研究科に進学し、機械学習の応用研究で博士(工学)を取得。専門は生体信号解析と機械学習の応用で、医療・獣医学・ビジネスなど分野を越えた共同研究を通じ、心拍変動を用いた熱中症検知、深層学習による嚥下障害スクリーニング、イヌの生体信号から情動や疲労度を推定する研究などに取り組む。教育面では初年次教育のほか、プログラミング・統計学・機械学習の授業を担当。2026年3月に共著『ここから学ぶ統計的機械学習 Pythonで実践!確率・統計から推定・学習理論まで』(科学情報出版)を刊行。
聞き手:DEFiDE株式会社 代表 山本
生体信号とは、心拍、体温、発汗など、生体から得られる信号のことです。丸野准教授の研究の中心は、生体信号や画像データをもとに、機械学習で人や動物の感情や状態を推定することです。
| 研究テーマ | 対象とデータ | 目指すこと |
|---|---|---|
| 熱中症の早期検知 | 人の心拍変動(HRV) | 重症化する前に兆候を捉え、早めの処置につなげる |
| 嚥下障害スクリーニング | 首の画像 | カメラで撮影するだけで、負担なく客観的にスクリーニングする |
| イヌの情動・疲労度の推定 | イヌの心拍変動(専用スーツで計測) | ストレスやリラックスなどの状態を生体信号から推定する |
テーマは人体に絞っているわけではなく、人と動物の両方を対象にしています。いずれも突き詰めると、「データの中からパターンを見つけ、異常を検知する」という共通の軸があり、そこに丸野准教授が積み上げてきた手法との接点があります。
研究の多くは、医療や獣医学など他分野の研究者との共同研究です。デバイスの設計や計測はハードウェアの専門家が、データの分析と機械学習は丸野准教授が担い、「何を、どう測るか」をチームで擦り合わせながら進めています。
「それぞれの専門性を持ち寄りながら、一人では解けない問題に専門家同士で向き合っていく——その協働のプロセスに面白さを感じています。」
――丸野准教授
| 用語 | 意味(一文定義) |
|---|---|
| 心拍変動(HRV) | 心拍間隔の変動。自律神経系のバランスを示す重要な指標 |
| ノイズ | 測定したいデータに混入する不要な信号成分。体の動きや環境温度の影響など |
| 特徴量 | データから抽出した、判定に有用な数値情報 |
| アノテーション | データにラベルやタグなどの追加情報を付与して意味づけする作業 |
| 転移学習 | 大量のデータで学習済みのモデルを、別の課題に転用する手法 |
熱中症は、重症化すると臓器不全など生命に関わる事態を招くおそれがあります。総務省消防庁によると、2025年5月〜9月の熱中症による救急搬送人員は100,510人に上り、2008年の調査開始以降で最多となりました。年齢別では65歳以上の高齢者が例年半数以上を占めています。
| 年 | 熱中症による救急搬送人員(5月〜9月) |
|---|---|
| 2023年 | 91,467人 |
| 2024年 | 97,578人 |
| 2025年 | 100,510人(調査開始以降最多) |
出典:総務省消防庁「熱中症による救急搬送状況」(各年5月〜9月の確定値)
特に高齢者は熱中症の進行に気づきにくく、気づいたときには重症化していることもあります。しかし、本人が「暑い」「だるい」と自覚するより前から、心拍や体温、発汗のバランスといった生体信号には小さな変化が現れ始めます。丸野准教授らの研究は、この変化から熱中症になりかけているかどうかを検知し、涼しい場所への移動や水分・電解質の補給、体の冷却といった処置を早めに行うことをコンセプトにしています。
2024年に専門誌「医学のあゆみ」に掲載された論文では、心拍のゆらぎを機械学習で解析し、熱中症の兆候を早期に検知するアプローチを提案しました。心拍のゆらぎは自律神経の状態を反映しており、暑熱ストレス(体内に熱がたまり、体温が基準値を超えることで生じる生理的・心理的負荷)がかかると変化します。そこで、心拍変動をリアルタイムでモニタリングし、通常とは異なるパターンを検知する手法を提案しています。
「ポイントは、熱中症を「自律神経の異常なイベント」として捉えた点です。」
――丸野准教授
分析の中心は、地道な前処理です。心拍ひとつ取っても、体の動きや環境温度の影響など知りたい情報以外のものが重なっているため、そのまま機械学習にかけても安定した判定は出せません。ノイズを取り除いて信号を整え、「熱中症のリスクが高まっているサイン」と相関する特徴量を抽出していく――その積み重ねが研究を支えています。科研費のプロジェクトとしては終了しており、ウェアラブルデバイスなどとの組み合わせによる実用化が今後の課題です。
高齢者に多い嚥下障害(食べ物や飲み物をうまく飲み込めなくなる状態)は、誤嚥性肺炎や低栄養といった深刻な合併症を招くことがあり、早期発見が重要です。一方、現在の嚥下スクリーニング検査には、検査する人のスキルに結果が左右される、患者への身体的な負担がある、飛沫のリスクがあるといった課題があります。
そこで丸野准教授らは、首の画像だけを使った完全自動のスクリーニングモデルの開発に取り組んでいます。首元の形や筋肉の状態が嚥下機能を反映しているという仮説のもと、次の二段階で判定する仕組みです。
カメラで撮影するだけで、体への負担なく客観的にスクリーニングできる――臨床現場での意思決定支援への応用を目指し、2026年1月には共同研究者とともにその改良と実用化に向けた取り組みを講演で発表しました。
獣医学部の研究者との共同研究では、イヌを対象に、生体信号から情動や疲労度を推定しています。基本的な流れは人の研究と同じで、センサーで心拍変動を取得し、機械学習で解析して、ストレスを感じているのか、リラックスしているのかといった状態を推定します。信号にしてしまえば、人と犬で使う技術はほぼ共通だといいます。
難しいのは計測です。人なら体に直接電極を貼れますが、犬は毛でこすれないようにしなければなりません。共同研究者が専用の計測スーツを開発し、改良を重ねてようやく計測できるようになりました。スーツ側で改良できる部分と、データ分析の前処理で対応できる部分を、分野の異なる研究者同士が議論しながら進めてきたといいます。
丸野准教授は、ここ数年で最も大きく変わったのは、少ないデータからでも高い精度が出せるようになった点だと言います。
| 以前 | 現在 |
|---|---|
| AIの学習には、膨大な量の正解ラベル付きデータが必要だった | 転移学習などにより、少ないデータからでも精度よく学習できる |
| 医療画像では専門家が一枚一枚アノテーションする必要があり、膨大なコストと時間がかかった | 学習済みモデルを医療画像の診断に転用し、データ不足の課題を大きく緩和できる |
| 研究室レベルの話にとどまっていた | 画像認識の精度向上や生成AI・LLMの発展で、ビジネスや業務の現場への実装が現実的になった |
画像認識の分野では、深層学習モデルの精度が飛躍的に上がり、医師が見落としやすい微細な変化をAIが検出できるケースも出てきました。人間が見落としがちなパターンを膨大なデータの中から拾い上げるのは、AIの得意分野です。ただし、丸野准教授はこう付け加えます。
「AIは強力な道具ですが、「何を探すか」を決めるのはあくまでも人間です。」
――丸野准教授
「データの中の宝物」は最初からそこにあるわけではなく、適切な「問いを立てる力」と、それに合ったモデルの設計があって初めて見えてくる――新しい技術が次々に登場する時代だからこそ、自分で考え学び続ける力がますます問われると丸野准教授は語ります。
手元のデータは少なくても、AIは使えるかもしれません
「データが足りない」「何から始めればよいかわからない」という企業こそ、まずは解きたい問いを明確にすることが出発点です。DEFiDEでは、AI/DXコンサルティングを通じて、課題の整理から手法の選定、小さな実証まで伴走します。
丸野准教授の原点は、京都女子大学現代社会学部の第一期生として、授業でプログラミング言語Rubyに触れたことです。英語などの自然言語に興味があったことから、プログラミング言語も同じ「言語」として自然に親しめたといいます。人間同士のコミュニケーションが自然言語で成り立つように、人間とコンピューターのコミュニケーションはプログラミング言語で成り立つ――その構造の面白さへの気づきが、機械学習研究への出発点になりました。
文理融合の学部で学び、自身は文系出身だと考えています。当時まだ珍しかった「女子大でプログラミングを」という教育を本気で根づかせようとした恩師との出会いが、今につながっているといいます。
卒業後は企業の研究部門でITエンジニアとして、報告書の自動作成システムや、報告書の作成・提出・稟議を扱う業務システムの開発・運用を担当しました。転機は、報告書データの分析を自動化する業務を任されたことです。データ分析の面白さと難しさに触れ、「もっと信号処理や機械学習の知識があれば」という思いから退職し、大学院に進学しました。
実務経験があるからこそ、「何のために研究するのか」「その先にどういう応用があるのか」を常に思い描きながら研究に取り組めている――医療や獣医学など、現場の人々と一緒に取り組める分野で研究を続けているのも、その問題意識の表れだといいます。
A. 心拍や体温、発汗などの生体信号を機械学習で解析すると、本人が自覚する前の体の変化や、人や動物の感情・状態を推定できます。丸野准教授は、心拍変動による熱中症の兆候の検知や、イヌの生体信号からのストレス・リラックス状態の推定などに取り組んでいます。
A. 心拍変動(HRV)とは、心拍と心拍の間隔のわずかなゆらぎのことで、自律神経系のバランスを示す重要な指標です。心臓は一定のリズムで拍動しているように見えて実は微妙にゆらいでおり、そのゆらぎは暑熱ストレスなどがかかると変化することがわかっています。
A. 丸野准教授らは、心拍変動をリアルタイムでモニタリングし、通常とは異なるパターンを機械学習で検知する手法を提案しています。熱中症を「自律神経の異常なイベント」として捉え、体温や発汗より前に現れる心拍のゆらぎの変化から兆候をつかむ発想です。実用化に向けた展開は今後の課題とされています。
A. 首の画像だけを使って、嚥下障害の有無を自動で判定するスクリーニングモデルです。AIが画像から首の領域を自動検出し、そこから嚥下障害の有無を判定する二段階の仕組みで、カメラで撮影するだけで、体への負担なく客観的にスクリーニングできることを目指しています。
A. 近年は、少ないデータからでも高い精度が出せるようになっています。代表的なのが転移学習で、大量の一般的な画像で学習済みのモデルを医療画像の診断などに転用することで、ゼロから学習させる場合に必要な膨大なデータの課題を大きく緩和できます。
A. 丸野准教授は、宝物はデータの中に最初からあるわけではなく、適切な「問いを立てる力」と、それに合ったモデルの設計があって初めて見えてくると述べています。AIは強力な道具ですが、何を探すかを決めるのは人間です。
中編では、AI時代にデータを価値に変えるために身につけたい4つの力と、「わかったつもり」で終わらない学び方、そして文理を越えたデータサイエンス教育について伺います。
社内のデータを、価値に変える土台づくりから
データから価値を見つけるには、まずデータが一つの場所に集まり、活用できる状態になっていることが大切です。DEFiDEの社内業務クラウド「SmartOps」は、社員・組織・業務の情報をひとつの基盤に集約し、需要予測やAIエージェント、RAGで活用できるようにします。基本機能はずっと無料で、必要な機能だけを追加できます。
▶ 中編:文系でもデータサイエンスは学べる?AI時代にデータを価値に変える4つの力
▶ インタビュー全文:“問いを立てる力”がAI時代を切り拓く(前編)