
大阪大学大学院基礎工学研究科 教授(大阪大学栄誉教授)
石黒 浩 氏
PROFILE
1963年、滋賀県生まれ。1991年、大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了。工学博士。2009年より大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻教授。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。2017年から大阪大学栄誉教授。2020年、大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーに就任。研究対象は、人とかかわるロボットやアンドロイドサイエンス。ATR石黒浩特別研究所客員所長(ATRフェロー)。研究対象は、人とかかわるロボットやアンドロイドサイエンス。多数の論文を主要な科学雑誌や国際会議で発表。国際的にも高い評価を得ている。2009年より未踏事業プロジェクトマネージャーを務める。『ロボットと人間 人とは何か』(岩波新書)、『アバターと共生する未来社会』(集英社)など著書多数。
『アバターと共生する未来社会』(著者:石黒 浩、発行:集英社)
目次
02 万博を、未来を考える場にしたい
03 未来を見据えるのは、現代に生きる我々の責任
04 日本人はロボットを対等に扱う唯一の国民
05 動物と人間の違いはテクノロジーにある
ロボットの研究を通じて、「人間とは何か」を探求する
―石黒先生が手掛けておられるロボット研究の原点をお聞かせいただけますか。
それは、全ての研究の出発点と同じです。人間に対する興味です。言い換えれば、「人間とは何か」という問いに向けて取り組むこと。突き詰めて考えれば、大学などのアカデミアのほぼ全ての研究は、そこに行きつくと思っています。
―そこが、結構面白いですね。僕はメディアを通じてしか、石黒先生のことを知ることができなかったのですが、工学的なアプローチから入っていかれたのかと思っていました。
物理や宇宙の起源などといった領域であれば当てはまらないかもしれませんが、工学にしろ何にしろ、すべての学問の背景には、「人とは何かと」いう問いがあります。これは当たり前のことです。もし、それが当たり前ではないとなれば、それこそが問題だと思います。
例えば、工学は人の役に立つものを作ります。経済学は経済活動という側面から人間を理解しようとしています。医学は生体の仕組みを理解しようとする分野。メディアはメディアを通して、人間の活動そのものを知ることです。逆に言うと、「人間につながらない学問って何ですか」と聞きたくなります。
―この辺りはさすがに深いなと思いました。そこまで根源的な部分から入られているからこそ、研究者として第一人者としていらっしゃるのだなと認識しました。
一般的に研究者は物事の真理を探求します。人間について、とにかく色々な側面から深く知りたいと思っているはずです。でもそうでない研究もたくさんあるのです。「なぜ、そうしないのか」というか、表層的なところに留まっていて、どうして真理にたどり着けると思っているのか疑問になります。物事の深さにはいろいろな定義があるのものの、表面的な問題解決に留まっているだけだと、物事の真理に近づける気はしないですよね。
万博を、未来を考える場にしたい
―石黒先生は今回大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーとして、シグネチャーパビリオン「いのちの未来」をプロデュースされました。どのようなパビリオンを仕上げられたのですか。
いのちというものがテクノロジーで拡がり、変わっていく姿を表現しました。世界が大きく変わっていくときに、いのちをいかに捉えるのか、来館者が考えるきっかけとなる場にしたいと考えました。
©FUTURE OF LIFE/EXPO2025
具体的には、3つの展示ゾーンを用意しました。ゾーン1がイントロ的な部分です。古来から日本において人々は、さまざまな人の形にいのちを宿してきました。土偶、埴輪、仏像などです。アンドロイドもその延長線上にあることを知ってもらおうということで、縄文時代から現代に至るまでのヒト型の歴史を紹介しました。
©FUTURE OF LIFE/EXPO2025
ゾーン2がメインの展示となります。このゾーンでは、50年後の世界や社会がどのようになっているのかという仮説のもと、新たなインフラやサービスが具現化する未来のシーンと、その中で展開されるストーリーを紹介しました。具体的には、約30体のアンドロイド・ロボット・CGキャラクター等のアバターが展示されています。来場者は人とアンドロイドやロボットなどがさまざまな形で共生する社会にダイブできます。
©FUTURE OF LIFE/EXPO2025
ゾーン3が1000年後の世界、まほろばです。ここでは、1000年後(または、1万年後から10万年後)に進化した未来の人間の姿を芸術作品として展示しました。1000年後の人間を僕らは、ミレニアムヒューマン「MOMO」と名付けました。「人や環境とどう関り調和的な関係を作っていくのか」「未来の人間の核は何なのか」そういった問いへの答えを芸術作品として表現しました。
©FUTURE OF LIFE/EXPO2025
―石黒先生は、大阪・関西万博の来場者に何を感じていただきたいと思われたのですか。
それは、僕の著書『いのちの未来 2075人間はロボットになり、ロボットは人間になる』(日本経済新聞出版)でも書いています。詳しくは、そちらを読んでいただければと思います。端的に言えばお子さんからご高齢の方までが、それぞれの立場からいのちについて考えてもらいたいということです。
もう一点は、万博を開催することの意味です。大阪・関西万博を開催するにあたって大事なことは、テクノロジーは実世界でどんどん進歩していくので、新しいテクノロジーを見せますという万博はもはやありえないということです。そうではなくて、テクノロジーを受け入れて未来をどのようにデザインしていくか、どう生きていくかを人間一人ひとりが考えていく、そういう万博にしないといけないと僕は言い続けてきました。会場を訪れた人たちにテクノロジーとどういうふうに向き合うのかを真剣に考えてもらおうということです。パビリオンを訪れた多くの人に、ものすごく真剣に考えて、「感動した」と言ってもらえているので、私としては大成功だと思っています。
事実、パビリオンの感想を色々な人が発信してくれています。例えば、「個人的に万博で一番好きだったパビリオンでした」「感動して泣きました」「コミュニケーションを研究しつくした結果から表現される素晴らしい芸術でないかと思いました」などと。
―パビリオンの構想としては、かなり長い時間を掛けられたのですか。
構想としては他のプロデューサーと同じで、約3年間です。
―3年間ですか。
僕は4年前に、日本国際博覧会協会から大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーへの就任を打診されました。正直言って、その場ですぐに返事をすることができませんでした。「万博とは何か」「何のために万博を開催するのか」が自分なりに理解できていなかったからです。なので、プロデューサーを引き受けるかどうかを半年ぐらい考えました。8人のプロデューサーの中で、最後に受け入れたのが私だったようです。でも、大阪・関西万博を開催する意義やパビリオンを作る意味を全部整理し切って、パビリオンに取り組んだので、迷いなくその準備を進めることができたと思います。
未来を見据えるのは、現代に生きる我々の責任
―大阪・関西万博の意義を遡ってお考えになられたのですね。
意味のないことをするわけにはいきません。僕はそもそも、大阪・関西万博を今開催する意義をしっかりと理解できていなかったし、納得もしていませんでした。だから、自分で考えていく中で、こんなにもテクノロジーが進歩する、要するに日常生活の中でテクノロジーがどんどん進化していて、大阪・関西万博開催中の6カ月の間でも進歩するのに、「なぜ大阪・関西万博を開催するのか」と考えたら、それは55年前の大阪万博とは開催の意義が違っていました。
55年前の大阪万博は新しい科学技術に憧れた万博でした。なぜなら、世界中が科学技術で豊かになることを目指していた時代だったからです。今回は大阪・関西万博会場で新しい技術を見るのではなくて、どんどん進歩し続けるテクノロジーによって手にいれた強大な力を活かして、未来をどういう風にデザインすれば良いかを考えることが大事になってきます。しかも、それを日本だけでなく、世界の人々と一緒に考えていかないといけません。それが、未来を創るということなのです。自分たちで未来を創造しデザインして行くこと。それは、我々現代に生きる人間の責任です。単に豊かになれば良いと言うわけではありません。これほどテクノロジーの進歩が速い時代において、万博に来たときぐらいはしっかりと未来を見据える、未来について考えるということを、多くの人と一緒にすることが大事だと思います。
日々新しいテクノロジーに追いかけ回されていて、50年後とか60年後、70年後の未来を考える余裕はないと思います。テクノロジーとどう向き合っていくのかを考えていないというか、考えないといけないのに、それを考える時間が取れていません。だから、大阪・関西万博でそれを考えるのです。そうすべきだと思った瞬間に私はプロデューサーになることを引き受けました。そこから、私のスタンスは1ミリも変わっていません。
―かなり熟考された上で、今回「いのち」をテーマにしてテクノロジーで未来を
デザインしていくことを具現化されたわけですね。実際に、若い子どもたちにも未来のテクノロジーを考えていくというところが伝わるものになっているのですか。
もちろんです。来てもらえれば、もうすぐにわかります。X(旧・ツィッター)やYouTubeなどをご覧いただいても良いですし、著書『いのちの未来 2075人間はロボットになり、ロボットは人間になる』(日本経済新聞出版)でも、その辺りの想いを書き記しています。
―パビリオン「いのちの未来」では、アバターを積極的に活用されていますね。
大阪・関西万博の中では、沢山のアバターを使っています。アバターとは、遠隔操作型のロボットやCGキャラクターです。パビリオンでは、それらを数多く使用して、高齢者や障がい者、海外在住者など、大阪・関西万博会場に足を運べない人も見学できる仕組みや、高齢者や障がい者などの方々がパビリオンで働ける仕組みも作りました。新しい技術も積極的に活用しており、その実証実験の場になっています。
©FUTURE OF LIFE/EXPO2025
日本人はロボットを対等に扱う唯一の国民
―ここからは、少し話が変わります。将来的なアンドロイドは人間社会に深く関わっていくと見込まれます。それに伴い、人間らしさの価値はどのように変わっていくとお考えですか。
人間らしさの価値ですか。難しい問題ですね。
―現状は、不気味の谷(人間に近いロボットやAIに好感を抱く一方で、あまりにも近づきすぎると不快感や恐怖感を抱く心理現象)を越える前段階だと思っています。
もう越えていますよ。人間のようだけど、アンドロイドだとわかるというのは不気味ではありません。すぐに慣れます。不気味というのは、死体が動いているような、まるでゾンビのようなものを意味します。でもそんな不気味なロボットを最近は見ませんよね。
―この不気味の谷というのは、ロボット工学者の森政弘氏が1970年に発表した論文「ヒューマノイドロボットと人間との接触」の中で定義付けられたものです。それは、もう十分に越えているということですね。僕は、受け取る人間側の感受性の問題が大きい気がします。例えば、慶應義塾大学の栗原聡先生は、「木を見る西洋人、森を見る東洋人」という話をされています。特に、日本人は鉄腕アトムなどの影響もあって、ロボットとの共存に対する寛容度がかなり高いと言えます。西洋人はやはり絶対神(世界には神が一人しかいないという考え)なので、どうしてもロボットを人間よりも下に捉えがちです。そうすると、人間の見方にすごく影響してしまうと思ってしまいます。石黒先生は、いかがお考えですか。
神様の問題というよりも、社会構造の問題だと思います。西洋の多くの人々は、ロボットが人間より一歩下のレベルにあって、しかも人間のように働くものを作りたいという想いを持っているように思います。例えば、工場で稼働するロボットを作りたいとか…。人間と同列のものを作りたくはないと、日本以外の国々の多くの方々は考えているようにも思います。しかし、日本だけは、「別に友達になっても良いのではないか」と考えているのではないでしょうか。
その背景には、日本が階級社会ではないということがあります。フラットな社会だということです。実際、他の国に行くとスラム街があるなど、明確な階級が存在します。日本はそれがほとんどありません。
―そういう意味では、日本には八百万の神(やおよろずのかみ:森羅万象あらゆるものに神が宿るとする、日本の神道における独特の考え方)というカルチャーがあります。
島国で2000年もの歴史があれば、国全体がある種の家族みたいなものになります。その中では、差別をするという概念がなくなってしまいます。実際、日本は外国人を最も差別しない国だと言っても良いでしょう。例えば、黒人の方が日本に来て「差別がない」と感動している例はたくさんあります。それぐらい日本には差別がありません。階級もない社会なのでロボットもそうですし、ロボット以外であっても人間と同じように大事に扱うということが自然にできる唯一の国かもしれません。
―確かに、寛容度は他の国に比べて日本人はあると思います。
やはり、地勢的な問題がすごくあります。日本のなかで戦争や紛争があったとしても、それでも皆で「日本人だ」って言いあってきたわけです。
他の国は支配体制がどんどん変わったり、別の国に支配されたりしています。日本は2000年もの歴史を誇っています。こんな国は、他にはありません。文化的にもかなり多国と独立しています。世界中を見渡しても、どこもないと言って良いでしょう。
動物と人間の違いはテクノロジーにある
―それは僕も同感です。これだけテクノロジーがスピーディーに発展してきて、どこに行ってもあらゆる情報が手に入ります。そんな社会になればなるほど、日本の特異性が出て来ている気がします。確か、1963年ぐらいだったと思いますが、カナダの英文学者・文明批評家であるマーシャル・マクルーハンが、「メディアを媒体・媒介物ではなく人間の身体を拡張するようなテクノロジー全般」として定義付けました。この論文を読んだ学生時代は、その考えが全く理解できませんでした。どうしてメディアやテクノロジーが、人の能力を拡張するのかと。ただその後、iPhoneが登場してきたことで、「なるほど」と思ったんです。iPhoneのおかげで人の能力がどんどん拡張されていきました。さらに今、AIが出て来ました。石黒先生は、いのちの未来を手掛けておられますが、進化というのがテクノロジーと一緒に変わってくるとお考えですか。
もちろん、そうだと思います。他の本でも言っているように、人間というのはテクノロジーを進化の手段に持つ唯一の生き物です。人間の定義は、どんどん変わってきます。だから、明確に定義することはできません。そういった中で動物と人間との唯一の違いは、テクノロジーなのです。
例えば、抗生物質もそうですし、ワクチンも全部テクノロジーです。そういったものがあるから、多くのいのちが救われ、他の動物に比べて圧倒的な優位性を持つことができているわけです。まさに、人間はテクノロジーのおかげで進化していると言って良いと思います。
―これから生まれてくる子どもたちがすべてをテクノロジーで囲まれていて、それと同時に成長していくというのは、非常に面白い世界だと思います。そうなっていく一方で、進化の格差が大きな影響をもたらすのではないかという気もします。先生はどうお考えですか。
僕は、それほど心配していません。例えば、今スマホを持っていない人ってほとんどいないですよね。そして、そのスマホでデジタルデバイト(情報通信技術を利用できる人と利用できない人との間に生じる格差)はほとんど起きていません。
日本のように割とフラットな社会だと、それほどテクノロジーで格差ができるという感じはしません。ただし、例えばAIの原理を理解している人間やAIの新しいプログラムを書ける人間がどれだけいるかというと、ものすごく限られてしまいます。言い換えれば、最先端の技術の中身を正確に理解できる人間は少なくなっていくけれども、社会がデジタルデバイドのようにパソコンやスマホによって分断されるというのは、むしろ起きにくくなっているようにも思います。
―コンパニオンとしてのテクノロジーは、いかがでしょうか。今後当たり前になってくると思うのですが…。例えば、今は標準的な世帯は夫婦に子ども一人、猫一匹という構成です。近い将来には、ここに例えばロボットみたいなものが入ってきたりするのではないかと思います。先生はどうお考えですか。
あり得るのではないでしょうか。
―ロボットは温かったりします。やはり、人間は五感で感じます。先生もセンサーとかも色々手掛けておられて、人の能力をテクノロジーで作られていると思います。温度があるだけで無機質なものが肌感覚というか、触覚とかでも感知するとすごく愛情が湧いてきてしまいます。これも、僕が日本人だからなのかもしれませんがね。
でも、ほとんどのロボットは熱を持ちますよ。
―人の体温みたいな熱を意図的に出せるのですか。
パソコンも熱を持つじゃないですか。それを上手に冷やしてやれば、人の体温ぐらいになります。逆に、それ以上熱くすると暴走してしまいます。