慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 教授
南澤 孝太 氏
PROFILE
2005年 東京大学工学部計数工学科卒業、2010年 同大学院情報理工学系研究科博士課程修了、博士(情報理工学)。
KMD Embodied Media Projectを主宰し、身体的経験を共有・創造・拡張する身体性メディアの研究開発と社会実装、Haptic Design Project を通じた触覚デザインの普及展開を推進。日本学術会議若手アカデミー幹事、テレイグジスタンス株式会社技術顧問、科学技術振興機構ムーンショット型研究開発事業・目標1「Project Cybernetic being」プロジェクトマネージャーを兼務。慶應義塾大学義塾賞(2022)、計測自動制御学会技術業績賞(2014)、グッドデザイン賞(2012, 2017)、ACM CHI Best Paper Award (2025)、日本バーチャルリアリティ学会論文賞(2012, 2015, 2016)など各賞受賞。
01
2050年の社会と新たな研究の型を作りたい
―なるほど、面白いですね。すごく深いお話だったです。次にムーンショット研究のお話に移らせてください。南澤先生は「Project Cybernetic being(サイバネティック・ビーイング:身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発)」のプロジェクトマネージャーも務めておられます。どういう経緯があったのですか。
ハプティックデザインを推進していた頃の研究資金が、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)のACCELという研究予算でした。僕の師匠であった舘先生がトップを務める研究プロジェクトの中で、若手教員として現場で実際に産学連携を組み上げていったり、その土台となるコミュニティビルディングをしていくのも、自分の研究活動の一環としてやっていました。最近だとそういうことまでやる研究者が増えていると思いますが、当時はまだ、外部を巻き込みながら研究をするというアプローチを取る人はそれほど多くなかったように思います。
そういうこともあって、2020年に新たな研究予算としてムーンショットのプログラムが始まったときに「出さないか」「組まないか」などと声を掛けていただきました。大型の研究予算なので「著名なシニアの先生方が取るんだろうな」と思いつつも、ムーンショットは2050年の社会を作ることを目指しているという政府の構想を読みながら、「30年も先の2050年をどうやって描いていけばよいのだろう」と同世代の研究者と夜な夜な話をしているときに、「僕らは2050年にもなお現役となる世代なのだから、研究の結末を見届ける責任があるのでは」という流れになりました。ちょうどコロナ禍でみんなリモートワークとなった中、深夜のオンラインミーティングを重ねながら、普通の研究予算では考えられないような、もはやSFのストーリーみたいな研究計画書を書き上げました。
国のプロジェクトだと、最初はかっちりと計画を立ててスタートするのですが、なかなか成果が研究室から外に出ることがなく、結果的に社会がどう変わったのかが良くわからないということになりがちです。そうならないように、学術論文や産学連携の研究成果はもちろんですが、それだけではなく、研究室の外に出て、社会の様々なステークホルダーや実際のユーザとなる当事者と連携しながらやっていくという、僕らの世代らしい、研究の新たな「型」を作っていこうということも、このムーンショットプロジェクトに取り組む中での僕らの狙いの1つです。
―内閣府の資料(https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html)では、2050年までに人が身体や脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現すると掲げられています。南澤先生ご自身には、解像度が高いイメージがあったりするのですか。
この資料が出たときに、僕らの分野そのものだねという話にはなりました。分身ロボットみたいなものは、僕らの師匠の頃からずっとやっている話ですし、映像アバターでリアルな体験みたいなのも、まさに先ほどの「シナスタジア・スーツ」で、当時の世界最高峰の没入感を実現していました。そういった技術が実際に高齢者の方や障害者の方のQOL(生活の質、人生の質)を上げるというところにも、ちょうど取り組み始めていた時期だったので、気が付いたら僕らがやっていることが政府の目標になっていた、といった感覚です。
02
AIを身体のアシスタントとして活用する
―南澤先生の研究は、すごくフィジカルな領域だと思います。その中で、今 AI がかなり進んでいます。NVIDIA も「フィジカルAI(Physical AI)」(3次元の物理世界の情報を理解し、それに基づいてタスクを実行できる能力を備えたAIシステム)を掲げており、物理的なものと AI が今後融合してくると思います。南澤先生の研究の中での AI の位置づけはどんな感じなのでしょうか。
このムーンショットの研究の中では、AI は人のアシスタントだと思っています。いわゆる対話でのアシスタントというよりは、二人羽織り状態で身体を使って直接手伝ってくれるアシスタントといったイメージです。例えば、自分が何かを持ち上げたいときにフッと支援してくれたり、細かいものを作りたいものの手先が不器用でできないときに、アバター越しにとか、あるいは何かウェアラブルな装置を着込んだ状態でやるとAIの支援で無意識のうちに上手くできたり、あるいは、人間国宝の誰々さんの技ですという風にAI の中の人がしっかりと感じられるとか…。あと、最近だとプロジェクトの中で、子どもでも7割の打率でバッティングをできるようになるアバターロボットを作りました。AIを活用して本人の能力を少し底上げできると、成功体験が生まれてモチベーションも上がるので、だんだんAIの支援を外しても本当にできるようになってくるんですよね。そういう形で身体のアシスタントとしてのAIを作ろうとしています。
一方、いま世界中で開発競争が激化しているフィジカルAIも、社会的には必然の流れだと思います。経済合理性の観点からはもはや必要不可欠で、政府や経済産業省、経団連(一般社団法人経済団体連合会)なども、どちらかというとそちらの方向で、なるべく生産コストを減らしたいから人を使わなくても済むようにしたいという意向がひしひしと伝わってきます。
ただ、僕らはずっとそれに歯向かっている側面があります。もちろんコストを下げることは大事ですし、やりたくないことはAIロボットにやってもらえれば良いと思いますが、一方で、やりがいや生きがい、動機、活躍の場を作らないと、結局皆が幸せにならないと考えています。僕らのプロジェクトの中で、障害当事者がアバターロボットを使って働く、といったシーンでも、効率だけを考えれば、AIにやらせればよいのですが、それをやってしまうと、当事者本人の経験になりません。それでは意味がないんですよね。本人の人生経験にとってプラスになるような使い方をしないといけない、と言い続けています。
「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」で分身ロボットOriHimeを遠隔操作する「パイロット」の方の中には、1日の中で東京のカフェだけでなく、都庁や万博、海外のカフェなど、もう朝から晩までスケジュールがタイトな人もいらっしゃったりします。肉体は寝たきりなのに忙しすぎる、もはや社会参画の域を越えていると言っても良いほどです。
―本当に日常世界がいきなりグローバルに広がっている感じですね。
そうなんです。最近は海外からのお客様が多いので、「パイロット」の皆さんは英語がどんどん上手くなっています。肉体的には外国人にまだ会ったことのない方も多いのに、英語のスキルは上達してきています。こんなことは 、AI が接客していたら絶対生まれません。やはり、人のやりがいや人の成長がないといけません。僕ら自身もやらなくて良い仕事はやりたくないと思うものの、「仕事は全部やらなくていいよ」と言われるのも寂しいものです。生きる意味を失ってしまいますからね。そこの部分をどう拡げるかというのを僕らの研究プロジェクトのポリシーとして大事にしています。
03
今できないことができるようになることに意味がある
―社会的意義がありますね。南澤先生が取り組まれているのは、障がいを持つ人でも社会に参加できて、そしてさらに生きがいや夢を持つことができるようになることではないかと思います。本当に素晴らしいです。
そうですね、その辺りが僕らの大きなミッションの1つです。それは障がいだけに留まりません。例えば僕自身、運動は基本的に苦手です。大谷選手の球を打てる気は全くしませんが、「それができるかもしれない」となると、可能性は大きく広がっていきます。先ほどお話した陶芸もそうです。そういった技がすぐインストールできれば、趣味や仕事でも使えます。すなわち、今できないことができるようになるというのは、別に障がいを持っていなくても色々あるので、そういったところを幅広くやっていくことには意味があると思っています。あるいは、それこそ災害現場や救助現場など、瞬間的に技を身体に取り入れることができることで救われる命があるならば、そういうのも社会のレジリエンスを高めるインフラになりうるのではないかと考えています。そこが、次に目指したいところです。
―南澤先生は、現状だとムーンショット・プロジェクトが活動の大半を占めているのですか。
そうですね。今は、7割くらいムーンショットです。ただ、ムーンショットからの派生でも幾つか新しい取り組みが始まっています。
例えば、JSTの産学官民連携研究プログラムである「共創の場形成支援プログラム」(通称「COI-NEXT」)の一環として、横浜市立大学の医学部のプロジェクトに協力しています。大学病院の心療内科と連携して、自閉症や対人恐怖症などの症状を持つ人たちのメンタルケアや社会復帰に、こういったアバターのテクノロジーが使えないかということで、研究に着手し始めました。
ムーンショット研究は未来志向なので、こんな可能性もあると少し先の未来に向けて風呂敷を広げているのですが、COI-NEXTは現代社会の現実的な課題に着目しています。なので、ムーンショットで生まれた近未来の技術を現実社会の課題解決につなげる取り組みと位置づけ、異なる時間軸を見据えてプロジェクトを走らせています。あとは、企業との共同研究ですね。先ほどのフィールテックを始め、常に幾つかの会社と新しいプロダクトやサービスを開発しています。
04
学生ベンチャーを通じてマネジメントスキルを身に付ける
―これまで南澤先生の色々なお話を聞いていて、研究者として一つの領域にどっぷり入られている感じがしました。驚いたのは、南澤先生の組織設計力やプロジェクトマネジメント力です。このムーンショットも結構大規模な研究です。幾つかの研究グループがあって、それを束ねておられるのですよね。
僕のムーンショットプロジェクトは現在18の研究室やスタートアップの合同チームになっています。石黒先生のムーンショットプロジェクトはもっとすごいですよ。30以上の研究機関がチームを組んでいます。いずれも巨大なプロジェクトです。
―南澤先生は、組織設計やプロジェクトマネジメントのスキルをどう身に着けたのですか。
僕自身が、どうしてこういう動き方をするようになったかというと、学生ベンチャーに関わっていたことが大きいです。学部生の頃、当時のIT系の学生ベンチャーブームに乗って、最初は先輩の会社の弟子入りから始まって、大学4年の卒論の時期から修士課程の終わりまで2年半ほどは代表取締役CEOとして学生ベンチャーの経営をしていました。規模は全然小さかったですけれどね。
実際にクライアントのためにシステムを開発して納品し、トラブルが発生し夜中に電話が掛かってくるみたいな経験を一通りしていました。なので、個人一人でできることには限界があり、チームとして動かないといけないということを、そこで結構学びました。
―それが、価値として発揮されているのですね。
といっても、小さな学生ベンチャーなのでたかが知れていますけどね。それでも、経験したことがあるのと無いのでは全然違うと最近になって感じています。やはり、現場で実際にクライアントの事業や社員の生活に責任をもってやり取りするというのは、大学の研究者だけをやっていると、経験する機会があまりなかったりしますから、そういう経験をある程度経たこともあって、大学の研究室を立ち上げてからも、スムーズに企業と一緒にプロジェクトを進められています。
05
研究者のマインドセットも変えていきたい
―ビジネスマインドをお持ちなのだと思います。
そうかもしれないです。大学の研究室の中には信じられないような小さな金額で企業との共同研究を受けているところもあります。純粋に研究が好きなのでお金は要らない、というのは美徳とも言えますが、一方で、わずかな資金を投資した程度では、企業側もあまり大きな期待を寄せません。お付き合い程度としてしか見ていなかったりします。しかし、それなりの金額をいただいて仕事をすると企業側の担当者も役員や社長に説明せざるを得なくなります。そうすると向こうも真剣になるし、お互いに本気を出して勝負をする取り組みになってきます。経営陣の目にとまれば「この活動を会社のブランディングに活かそう」「この事業と結び付けられないか」などと、取り組みがスケールしていく可能性が膨らみます。
なので、お互いに良い仕事をして最大限プロモーションして外に発信しましょうというスタンスで臨んでいます。プロジェクトとしての一定のスケールとクオリティを担保するためにも、必要な予算を確保していただくべく、担当者の方が社内を説得するところから僕らも一緒に知恵を絞り、企画から一緒に取り組むことで、作り上げた研究成果が何らかの形で企業の次のビジョンの種になるようにしたいと思っています。
最近は、自分の研究室であるEmbodied Media Projectを、シードの手前をやるチームと定義しています。スタートアップとして投資が得られるような時期が来たら会社を立ててスピンアウトすれば良いのですが、そこまでには至っていない種がこの領域には沢山あります。ビジネス化するにはまだ早いけれど、プロトタイプとして外に見せるところまではいけるよね、みたいなフェーズを手掛けつつ、その中でエンタテインメントや広告、通信業界などの実験的なニーズに応えたり、障がいを持っている方や高齢者を巡る社会課題を解決していくことが、僕らが一番やりがいを感じる領域です。なので、学術研究としての好奇心と、企業のミッションと、そして当事者のニーズを上手くつなげていくようにしています。
そうしたやり方をいつ頃から出来るようになったのかと振り返ってみると、僕自身が大学の教員になったのが 2010年で、自分のラボを持ったのが2015年でした。その間、色々と試行錯誤を繰り返す中で割とある程度の型ができていった気がします。最近は「SHIBUYA QWS(渋谷キューズ)」といった産学官民連携施設のプランニングにも関わらせていただくようになりました。SHIBUYA QWSでは、こういった社会と連携した研究活動ができるチームが、大学の内外で増えていくような環境を整えることで、大学の研究者のマインドセットを変え、大学と社会との新たな関係性を構築することを狙っています。
いま僕は日本学術会議(日本の科学者の意見を国内外に対して発信する代表機関)の連携会員として、40歳前後の研究者の集合体である若手アカデミーという組織の幹事を務めています。全く異なる分野で活躍している同世代の研究者と関わっていると、上の世代からの世代観の変化の中で、いまの若手の研究者のマインドセットは大きく変わってることを肌で感じており、こういった変化を内外に発信する必要性も強く感じています。
06
社会巻き込み型の研究者が増えている
―研究者のあり方も大きく変わっていきそうですね。
今までは、研究者は知識を持っていれば勝てていたのですが、今は知識なんてインターネットに溢れているので持っていても意味がありません。大事なのはそこではなくて、何かに直面したときにそれにどういうアウトプットを出すかです。入力に対して新しい何かを出力して返す、いわば「関数的」な、社会の中の「ファンクション」としての研究者のニーズがどんどん高まっていて、そういった研究者は、必然的にどういうインプットを取り込むかが自分のアウトプットを決めるので、社会の中に出ていき、新しいインプットを得て、それに対してレスポンスを返していく。社会巻き込み型、言い換えれば「共創型」の活動をする若手の研究者が、最近様々な領域で増えています。
あとは、いわゆる文系の研究者、法律や社会科学を専門に研究されている人たちも、僕らの世代を見る限り、どんどん変わり始めています。いわゆる理系の研究者は、僕の師匠の世代だと、例えば「テレイグジスタンス」(遠隔臨場感、遠隔存在感)の概念は、舘先生が30代の1970年代に考えて、70代で引退するタイミングでようやく会社となりました。なので、まさに一世代一仕事という世界です。
僕は触覚の研究を始めてまだ15年ですが、もう一周してしまった感覚があり、引退まであと二周三周ぐらいはしなければならなさそうです。技術の進化が加速し、新たな技術概念が10年も経たずに社会に浸透する現代では、研究者が社会実装まで手掛ける、ユーザに届いてその生活を変えるところまで見届けるということが必然になってくると考える必要があると思います。そうすると当然、誰に届けるか、社会にどういう影響があるのか、法律をどう変えなければいけないかを考える必要があります。先ほどお話した匠の技を AI 化するというのも、その技能の権利やトレーサビリティはどう担保するのか、といった話が出てきます。そういったところを社会学者の人たちと議論することも必然となってきています。
一方、社会学者の側でも、社会を観測・分析して、それを本にして出版している間に時代が変わるので、やはり時間軸が大きく変わってきています。人文系の人たちも、テクノロジーの現場で未来を一緒に見て、それを分析してその未来が実際に来る頃には法律が整備されているといった具合に、未来予測をかけながら分析していくことを今やり始めています。特に、AIやロボット、脳科学やバイオテクノロジーなどの、まさにこれから10年で社会に浸透するであろう最先端技術に関わっている人たちは、文系理系を問わず、動き方が変わり始めていると思います。
07
人との出会いから新たな着想を得る
―南澤先生の研究領域はかなり広いのですが、着想やヒントはどんなときに得られているのですか。
基本的には、新しい現場や新しい人に出会ったときです。例えば、目が見えない人や耳が聞こえない人、あるいはアスリートや何かの職人と出会ったりすると、そこから新しい研究が生まれます。前回紹介したKarada Tapは、日本科学未来館で触覚技術を展示していたときに、耳の聞こえない来館者の方が興味をもってくれたことから始まりましたし、陶芸職人とのプロジェクトは、工芸産地協会の方がラボに遊びに来てくれたことから始まりました。
おかげで僕自身、今はかなり広い間口を持っています。子供から高齢者まで、アスリートから弁護士まで、技術やデザインから社会制度まで、だいぶ来るもの拒まずでやっていますので、自ずと来る人の幅がどんどん増えてきます。そうした方々と話してると、その人に対して僕らが持っているこういう技術を適用すれば、こんな形でこういうユースケース(ユーザがプロダクトやサービスをどのように使用するかを想定すること)が作れそう、といったアイディアを返すことができます。それが、学生の研究テーマになってきます。インプットの幅が研究としてのアウトプットの幅になるという点では、国内の研究室の中でもかなり幅広いほうなのではと思います。
―やはり、南澤先生も軸になっているのは人なのですね、石黒先生も「人間とは」というような哲学的な感じでおっしゃっておられました。
そうですね。おそらく石黒先生も僕も人への興味は共通しています。ただアプローチの違いとしては、石黒先生には先生の強い「人間観」があるように思います。それに共感されている人たちが、周りに集まってきています。一方僕は人間はこうであるべきという思想は正直それほどなく、むしろ、それぞれの人の「人間観」に僕らがどう関われるかに興味があります。
―石黒先生は人を創造するというアプローチ。南澤先生はどちらかというと、弱者な人たちの体を拡張する、身体性を拡張する方向という印象です。
石黒先生はアーティストなんですよ。強い思想を提示して人類を引っ張っていく。僕らはどちらかというとデザイナーです。人や地域の課題に寄り添ったり、誰かの「やりたい」を実現したい。そこに違いがあると思います。最近は当事者の方の生活を研究対象にすることが多いですが、少し前は、超人スポーツ(テクノロジーによって能力を拡張した人間が行う新しいスポーツ)といって、スポーツも研究対象にしていました。身体拡張技術を活用した新たなスポーツを作るというコンセプトのもと、2014年に「超人スポーツ協会」を設立して、産学官民連携のもと、スポーツをフィールドに身体拡張の可能性を探求していました。
―最後に、これからロボットやAI、あるいはハプティックデザインなどの研究に挑む若手や起業家にメッセージをいただけますか。
改めてとなると答えるのが難しいですね。今はどんどん変化している時代なので、10年経てばもう時代は大きく様変わりしているという大前提を持つ必要があります。今ある現象や課題が5年後、10年後もそのままであるということは考えられません。良くも悪くもその前提を突き破れる時代だと思います。だからこそ、特に若い世代、僕らや僕ら以下の世代の人たちが、時代は変えられるという前提で行動することが、すごく大事だと思っています。
それは大学の研究者であろうが、企業の方やスタートアップの経営者であっても同様です。時代を変えることができるんです。あらゆるルールは元を辿れば誰かが作ったものです。法律もそうです。社会のあらゆる制度も仕組みも全て誰かが作ったものなのです。それを自分たちがまた作り直せば良いのです。しかも、作り直す手段が今すごくたくさんあります。まずは、変えられるということを信じるのが非常に大事だと思っています。
そして、そのときに同じ未来像、「10年後にはこうしたい」という想いを持っている、さまざまな立場の人たちと語り合い、議論することです。僕らは、それを「越境」と呼んでいます。自分たちの身の回りだけ、自分たちの専門に近い人だけではなく、全然違う視点や経験を持っている人も実は同じようなことを考えていたりします。色々な方面から共通の未来像に向かってアプローチしていく。この「共創」と「越境」をやっていくとまだまだ世の中が良くなる可能性が残されていると思います。
「時代は変えられるんだ」という自信を持って、色々な人と自分の境界を超えて取り組んでいく。自分の制約に対して先入観を持たずに、専門外のことにも好奇心をもって取り組むことができると、仕事も研究も面白くなってくると思っています。
―南澤先生、有意義なお話をありがとうございました。