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2026.05.01

生成AIの進化が暴く「人間の本質」――抽象化・倫理・学び続ける力の意義を問う(中編)

生成AIの登場は、単なる技術革新ではない。知識の生成や整理という、人類が長らく担ってきた営みそのものが自動化され始めたという点で、それは知の生産様式の転換を意味している。では、問いを立て、目的を定め、価値を判断する主体は誰なのか。AIが高度化するほど、この根源的な問いは重みを増す。早稲田大学理工学部教授の鷲崎弘宜氏は、AI時代にこそ必要なのは高度な技術スキル以上に「抽象化」と「ゴール指向」、そして「学び続ける力」だと語る。AIを突き詰めることは、人間の認識と営みを再定義することに他ならない。本インタビューでは、弊社代表の山本が3回にわたってソフトウェアエンジニアリング研究の最前線から、AIと共進化する人材像を探る。中編では、生成AIがもたらす衝撃やAIとの向き合い方などを鷲崎氏に聞いた。  

早稲田大学理工学術院基幹理工学部情報理工学科教授 
鷲崎 弘宜 氏 

PROFILE

1976年生まれ。99年早稲田大学理工学部情報学科卒業、01年同大学院理工学研究科情報科学専攻修士前期課程修了、03年博士後期課程修了、博士(情報科学)。02年同大学助手、04年国立情報学研究所助手。05年総合研究大学院大学助手。07年同研究所助教および同大学助教。08年早稲田大学理工学術院准教授および国立情報学研究所客員准教授。16年早稲田大学教授、国立情報学研究所客員教授。他の活動にIEEE Computer Society(以下、IEEE-CS) 2025 President、ISO/IEC/JTC1 SC7/WG20 Convenor、情報処理学会ソフトウェア工学研究会主査、日本科学技術連盟ソフトウェア品質管理研究会運営委員長、IoT/AI/DXリカレント教育プログラム スマートエスイー(Smart SE)事業責任者ほか。 

 

 

 

【中編のエッセンス】

 

 生成AIの登場は、ソフトウェア工学を「コード中心」から「意図中心」へと転換させる。実装の多くは自動化されるが、「何を実現したいのか」という意図設定と、その妥当性を検証する責任は人間に残る。今後のエンジニアはAIエージェントを統率する存在へと変化し、価値判断能力が中核となる。教育においては、ブラックボックス化が進む時代だからこそ原理理解が不可欠である。理系・文系の境界は薄れつつも、高度専門性の重要性はむしろ増していく。  

 

 

【中編のキーメッセージ】  

 

キーメッセージ① 

生成AIは開発を「コード中心」から「意図中心」へと転換させる。 

 

キーメッセージ② 

自動化が進むほど、人間の価値判断と検証責任は重くなる。 

 

キーメッセージ 

ブラックボックス時代こそ、原理理解と専門性が決定的差を生む。 

01

コード中心から「意図中心」へ

夕焼けを背景にした道標のシルエット

―非常に興味深いお話を聞かせていただきました。そのつながりで、鷲崎先生への再確認ということで、ソフトウェアとソフトウェアエンジニアリングで先生の研究のテーマ、一番の屋台骨は、効率良く高信頼のソフトウェア開発だと思いました。それと、もう一つはグローバルに活躍できる人材育成が絶対的に重要だと捉えておられます。これまでのソフトウェア工学は、ブラックボックスだったとしてもインとアウトが必ずあり、このインを入れるとこのアウトも必ず決まっているから、ある程度標準化しやすいものでした。他方、生成AIが出てきたら、ここの標準化がものすごく難しいのではないかと思います。やはり、生成AIを使うと一字一句変わってきます。その辺りのソフトウェア工学の本質が、今後生成AIによってどのように変わっていくのか。鷲崎先生はどう捉えられていますか。

 

非常に重要なところだと思います。それだけでも、延々とパネルディスカッションができるくらいです。今記事も書いているところなのですが、おっしゃる通りです。特に生成AIによってソフトウェアエンジニアリング、ソフトウェアの高信頼なソフトウェアの効率的な開発が大きく変革するのは間違いないと思います。一言で言うと、コード中心から我々はインテントというのですが、日本語に直訳すると意図です。あるいは意思ですかね。そういうコード中心から意図中心、コードセントリックからインテントセントリックな開発や運用に向かっていくというのは、これは避けられないものです。今まさに良くも悪くも起きてきています。

 

つまり、当初はヴァイブコーディング(人が自らコーディングする代わりにAIに指示してコーディングを進める形態)というのは、ある種直感的に思ったことでコードを生成していくというような、それはコーディングに限られていたところが、インテントを通じてコードだけではない、開発のあらゆるライフサイクル、要求のところもそうです。要求にはやはり本来意図があるわけですね。つまり、やりたかったこととはどういうことかと。で、今まではそれをしっかり専門家が書き出していましたが、そこは今生成AIと対話をする、あるいは生成AIに多くを探索させることができるようになってきました。

 

ですから、インテントによって、「何となくこういうことをやりたいのだな」というレベルから、「実はやりたかったことはこういう機能・仕組みなのか」とわかるようになってきました。

 

それは、要求だけではありません。設計もそうです。設計も今までは、アーキテクトですとか、それはまさに私自身が再利用に取り組んで来ました。「こういうことをやりたいから、こういう設計であるべきだ」としっかりデザインして、検証して来ています。それを今は、生成AIや大規模な知識を活用すればインテントを通じて進めていけます。ただ、検証は必要です。そこは私自身、強調したいところです。

 

その後のコーディングもテストもそうです。それからマネジメント、あらゆるところが施工中心から、インテント中心になっていきます。これは、今の生成AIもそうですし、非常に不確実性を増しています。さらには、これからますますソフトウェアサービスは、よりコンテクスト、つまり文脈に適応的であるということ。そして、さらにはそれが非常にパーソナルなものになっていくだろうと思います。つまり、今まではある意味、人や環境がソフトウェアに合わせていたわけです。やりたいことがあるわけですけれど、そうではなくて、「このソフトウェアではこういうサービス、これができるからこうしよう」とそちらに合わせていました。しかし、これからはそうではないということです。

 

生成AI登場以前からそうした方向は探求されていたのですが、現実的にはそれはできてなかったわけです。しかし、それが生成AIによってかなりできるようになって来ました。つまり、コンテクストにより合わせられます。そしてパーソナルですから、同じスマホの同じアプリであっても、例えばあなたと私とが別の人で、そして使う時に、実はかなり違うということが、これからはますます起きてきます。これは、まさに良さであり、難しさでもあると思います。

 

そういう具合に、非常に適応的に柔軟で不確実で、ダイナミックということで、それが社会においてますます求められてくるからこそ、使う側、作る側、運営する側、マネジメントする側も生成AI中心で対応していくというのは、間違いのない方向だと思います。

02

「プログラマー消滅」時代の人間の役割

AIにおいても説明可能なAI(「Explainable AI」)と言って、AIが生成したものは必ず説明ができないといけないということが今求められています。鷲崎先生がおっしゃられたその意図をどれだけ人間側が持って、生成AIと向き合うことができるかというのは非常に重要だと思います。これまで、ソフトウェア工学はプロシージャル(手続き型。アルゴリズムを使用してコンテンツを体系的に生成するデザイン手法)と言うか、プロセスを一つのステップとしてプログラミングを書いていき、手続きをしていくことによってできました。ただ、今の場合は、それこそ「何をしたいか」「どんな社会課題を解決したい」のかをインプットさせて、AIが初めて生成していきます。今、そのレベルまで対話型である程度のところまでは支援できる時代になったと思います。一方で、今年2月にイーロン・マスクが、「2026年にプログラミングが全部自動化する」と発言しました。また、Anthropic社の生成AIモデル「Claude Opus 4.6」や「Claude Cowork」(Anthropicが提供する自律型AIエージェント機能)が出て来て、ある意味でソフトウェア工学も引っ込んでしまって、ユーザー企業が求めるものを入れてしまったらできあがる時代がもうすぐそばに来ているような気もします。こうした場合、工学的な観点からするとそこで生成AIが出てきたものに対する検証、ベリフィケーションの部分は、どうするのが良いのか。人がどういうふうな役割でAIと対峙していくべきなのか、ご意見をいただければと思います。

 

まさにご指摘の通りだと思います。先日、元NTTコンピュータ&データサイエンス研究所特別研究員で、早稲田大学に転任された齋藤忍准教授が、2030年の未来を展望する著書『ソフトウェア開発のワークスタイル2030』(NTT出版)を執筆されました。その本の前書きに、私は推薦文を寄せさせていただきました。それの出だしをSF小説風に、少しキャッチーになるようにこうしました。「2030年、プログラマーは地球から消え去った」と。

 

先ほどイーロン・マスクの言葉とおっしゃっていましたけれども、そういう狭い意味での、つまり与えられた仕様・要求、詳細に書かれた要求について、プログラムとしてそれを書き起こして、つまり計算機への指示等を変換するという作業。それを担う職業を狭い意味でプログラマーと捉えるのであれば、地球から消え去るかどうかはともかくとして、大部分がなくなってくるというのは間違いないと思います。ですから、やはりソフトウェアの開発において重要性を持つのは、最初と終わりのところになります。つまり、そもそも何をやりたいか、そして主要なポイントで検証し受け入れて統合できるか、です。だから、ソフトウェアエンジニアリングの本当の原点に立ち返ることだと思います。

 

つまり、どうしても今までのソフトウェアエンジニアリングは、手順でプロセスを重視して、これをすること、これをチェックする、というふうになっています。その積み重ねの結果としてやりたいことは実現できるという話だったのですが、より直接的に、「そもそも何がやりたいのか」「それは業務や組織、社会にどういう価値をもたらすのか」に重点を置けるようになり、そうあるべきとも言えます。それがしっかりと扱える人が生き残っていくわけです。

 

私が先ほど申し上げた「ゴール指向」というのは、まさにそこです。それが、意図にもつながります。一方で、検証はきちっとできないといけません。これは間違いなく、AIは常に100%正しいということは当然あり得ません。これはきちんと検証できないといけないのです。検証および妥当性確認できるということは、これはつまり何が正しいのかを知っているということです。

 

もちろん、生成AIの使い方は大きくは二つあります。一つは、特に正解がわかっていることについて自動化していく。ですから、開発の下流のところです。コーディングやプログラミング、テストですとか。そういった正解が分かっている作業、これは割と生成AIによる効率化・自動化という使い方です。

 

一方で正解が分からないというのは、上流の工程です。分析や設計のところです。生成AI は、どちらかというと探索的に用いられます。つまり、どういう可能性があるのかを見ていくということが、生成AI であれば数百、数千、様々なパターンを無数に見ていけるわけです。

 

どちらの使い方にせよ、やはり最後は人の方で「何が妥当なのか」「どれが元々の意図、インテントに立ち返って望ましいのか」を価値判断できることが必要です。私はそのために、生成AI によって狭い意味のプログラマーの職種がなくなっていく時代こそ、「何が正しいコーディングなのか」「何が正しいテストで、何が正しい設計なのか」は、しっかりと学んでおかないといけないと考えます。学んでおいた上で、それは生成AIに任せれば良いのです。

 

それは結果として、一人ひとりのエンジニアは今後マネージャーになっていきます。 つまり、一人ひとりが多くのAIエージェントを束ねていくわけです。「あなたはこれをやりなさい」「あなたはこちらをやりなさい」と。当然マネージャーですから、結果を検証するわけです。「これは上手くいっていない」「修正しなさい」など。マネージャーというのは、まさにそういうことを行っているわけです。つまり、何が正しいのか価値判断ができるから務まるわけです。

 

まさに、これからのエンジニアというのは、一人ひとりがマネージャーになってAIエージェントを率いていきます。ポイントは、最初と検証のところですね。頭とお尻の重視に変容していくことだと思います。

03

教育と価値評価の再定義

夕焼け空を背景に、内部で太陽が輝いているように見える透明な電球

―社会課題にしても、インテントの部分。何を作るか、アイデアがあってそれを実現してプログラムやソフトウェアを作っていくところをプロジェクトマネジメントしてやっていく、この両輪が必要になってくると思います。

 

その上で一人ユニコーン(企業価値が10億ドル以上の未上場企業)が出てくるだろうと予測されています。一人で会社を作って、あとはAIエージェントでやっていくというスタイルです。鷲崎先生の著書で言えば、開発支援レベル3ですね。プロジェクト遂行エージェントの時代になってくると、もう本当に全部の仕事がオーケストレーションAI が色々なAI にタスクを振って、そしてその途中途中で人間がヒューマンインターフェイスで確認しながらやっていくようになります。

 

そうした時に、そのプロセス自体はもちろん、説明をさせることで検証ができると思うのですけれど、先生方や企業の皆さんは知識も経験ももちろんあるのでわかるはずです。一方、これからの学生にとっては、もう生成AI が当たり前の時代になってきます。鷲崎先生は教育者なので、グローバル人材を作っていく、指導していく上で、どういうふうに人材に対する教育をしていくことが必要になってくると思われますか。今までのアプローチとは全く違うのではないかと私は思います。鷲崎先生のご意見は、いかがでしょうか。

 

そこは今、まさに過渡期なのです。ですから、私自身も正直手探りです。大きく言うと二点あります。一つは、今後の開発の多くは、ある種ブラックボックスになっていくということです。つまり、インテントです。一応テストするように行動して、ある程度エージェント同士の対応やエージェントによる検証ももちろんそうです。そして最後、人が承認をするとすれば、非常に大部分はもうかなりブラックボックスな形となります。ただ、もちろん説明が付く形で流す必要があります。価値判断とか意思決定も同様です。

 

だからこそ、そこの原理はきちんと学んでおかなくてはいけません。そういうことこそ、大学で学べることになってくるだろうと思います。逆に実践の場では、例えばコンピュータサイエンスですとか、あるいはAIと言いましても、なかなかAIの原理を探る時間的な余裕がありません。そこにもうビジネスの課題があって、当然利益も求められるということになるわけですから、なかなか原理に立ち返ってという時間は限られています。

 

ですから、今後ソフトウェア開発の大半がブラックボックスになっていく時こそ、原理・仕組みはしっかり学んでおいてほしいと思います。それから今ブラックボックスになっている仕組みに踏み込んだ上での意思決定や、その価値判断がきちんとできるようになるということです。それが一つです。

 

一方でもう一つは、そうは言っても、今現場では良い開発者の定義がどんどん変わってきています。つまり、今まで良かった開発者というよりも、あまり中身はわかっていない、経験もなくても、とにかく上手くAIエージェントを使えて見た目上は生産性が高いような形になるということが、今起こりつつあります。

 

2、3年前でしたか、面白い記事がありました。あるプログラマーが短期雇用か委託を受けていて毎日開発していますという振りをしていたらしいのです。成果も上がっていました。だから委託費用が支払われていたわけです。しかし、よく調べてみるとほとんどをAI に任せていて、本人は別な仕事をしていたのです。それで委託の打ち切りだか、解雇になったという記事であったと記憶しています。

 

「その人は本来正しい」という見方もあると言いましょうか。要するに開発者の価値、さらに開発者が生み出す価値をどう評価していくかです。これが今後変容していくだろうと思います。今までは、どうしても人月と言いましょうか。つまり、どれだけの時間や労力を割いたかにどうしても目が行きがちであったわけです。しかし、先ほどの例はそうではないわけです。むしろある種非常に優れていますよね。最小の労力で効率良くやっているわけですから一番良いはずです。

 

その辺りは開発者の価値や生産性、そして生み出された価値をどう評価していくかに関わってきます。これは実は非常に重要なので、色々なSIベンダーと議論をしました。顧客との契約の仕方ですとかも、これから変えていかなくてはいけないというところで、皆そこはちょっと今少し悩んでいるところと思います。

 

翻って、ソフトウェアエンジニアリングの世界で昔から言われていた「価値とは何なのか」ということになるのですが、結局「価値は測るのが難しい」に落ち着きがちです。もちろん、金銭的な変換というのも必ずあります。ただ、それだけではないわけです。そういう社会的な価値や責任があるソフトウェアシステム、レスポンシブ(Webサイトの表示を閲覧するデバイスの画面サイズに応じて自動的に最適化するデザイン手法)であるということです。そういったことも含めて、その価値をどう測って評価していくか。そこを今後突き詰めていかないといけません。それによって、優れた開発者かどうか。優れた成果があるかどうかを評価されていくべきです。そうなっていかないといけません。

04

理系・文系の境界の行方

―論理という観点から行くと、今までであればそれこそ理工系のソフトウェアエンジニアリングの知識はもちろん重要だと思います。今や生成AI時代になると、プロンプト次第ではないですか。プロンプトエンジニアリングが重要になってくると言語能力がものすごく今求められているのではないかと思います。幾ら良いエンジニアでも、プログラミング言語はすごく書けたとしても、AIに同じことをやらせる時に言語能力がない、ロジカルな記述ができないとすると問題です。鷲崎先生は、今回の書籍で色々プロンプトのご紹介もされています。あれを参考にすれば良いのでしょうが、これからは理工系の人も文系の能力が必要になる気がしてなりません。もっと言えば、将来的には理系と文系の境界がなくなってくる気がしないでもないです。鷲崎先生のご意見はいかがですか。

 

境界のないところと、一方でそれぞれがより得意とするところがあると思います。ただ、大部分は、特に共通のところに関しては境界が薄れてくるのはあると思います。例えば、ミッションクリティカルでないところですとか。複雑性が非常に低いようなところです。大体こうであればこうして欲しいといったところ。そこは必ずしもコンピュータサイエンスやソフトウェアシステム、あるいはAIの専門性は必要でなかったりします。

 

そこは、むしろおっしゃられるように、割と言語化、つまり意図、インテントですね。いかに開発者やAIに正しく伝えていけるかというところが、非常に重要になってきます。後は、ドメイン知識です。ドメイン知識は自分自身が持つのか、あるいはコミュニケーションする顧客であるとか、専門とするドメインエキスパートが獲得するのか。それをいかにインテントという形で言語化し他の人や、あるいはAIに、相手のわかる言葉できちんと伝えていけるかどうか、対話していけるかどうか、メタ認知としてそうした思考や行動を自ら振り返って調整しているかどうか、そういう能力が必要になってきます。文系は確かにそこが得意というところはあるかもしれません。そこは興味深いところです。

 

一方で、そうやってインテント中心で進めていくと、ただやはりミッションクリティカルのところ、「ここはセキュリティ、あるいはセーフティとしては絶対必要だ」というところですとか、あるいは「これではどうしてもスケールしない」とか。非常に小規模な形であれば別に問題ないのですが、「例えば十万、百万のユーザーがアクセスした時に、どうなるのか」「この処理の仕方ではスケールしない」となると、そこは考えないといけなくなるわけです。そこはセキュリティもそうですし、そこできちんと専門性を有した、エンジニアが必要になってきます。

 

そういう意味では、逆に言うと、今までの「なんちゃってエンジニア」というか。エンジニア風に振る舞ってきた方、つまり、「私はセキュリティの専門家です」「AIに関してはもう任せてくれ」と言えない方です。エンジニアとして一応振る舞っているものの専門性を持たないという人たちはこれから厳しくなっていきます。一方で、本当の意味でそういう専門性をきちんと持ったプロフェッショナルとしてのエンジニアは、エージェント群による開発の圧倒的な加速や大規模化、多品種化に伴って、ますます必要になってくると思います。そういう棲み分けだと思います。