山口 高平(やまぐち たかひら)氏
神奈川大学 情報学部 システム数理学科 教授、放送大学客員教授
PROFILE
神奈川大学 情報学部 システム数理学科 教授、放送大学客員教授。大阪大学産業科学研究所助手、静岡大学助教授・教授、南カリフォルニア大学情報科学研究所研究員を経て、2004年から2022年まで慶應義塾大学理工学部管理工学科教授。同大学「人工知能・ビッグデータ研究開発センター」センター長(2015〜2020年)、科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター特任フェロー(2013年〜2026年3月)などを歴任し、2023年より現職。専門は知能情報学、ヒューマンインタフェース・インタラクション、知能ロボティクス。半世紀近くAI研究に携わり、16分野で企業との産学連携を手がける。共著に『AIシステムと人・社会との関係』(放送大学教材)。
AIオーケストレーションとは、人がコンダクター(指揮者)となり、従来のAI、生成AI、そして人間の三者を協力させる枠組みです。
生成AIの進化で、人の仕事が奪われるのではないかという不安が広がっています。神奈川大学の山口高平教授は、AIに全てを任せるのでも、AIを拒むのでもなく、人と多様なAIがそれぞれの強みを生かして協調する「AIオーケストレーション」を提唱しています。その実現を阻む大きな壁が、マニュアルに書かれていない現場の「暗黙知」です。
本記事では、山口教授へのインタビュー(聞き手:デフィデ株式会社 代表 山本哲也)をもとに、AIオーケストレーションの考え方、生成AIによる雇用の変化、現場のノウハウの7割を占める暗黙知の壁、言葉の意味を扱うオントロジー、そして求められるAI人材について解説します。
この記事でわかること
・AIオーケストレーションとは何か、人が担う「指揮者」の役割
・生成AIによる雇用の変化と、人とAIの役割分担
・現場のノウハウの7割を占める「暗黙知」と、生成AIの限界
・言葉と表情・感情を統合する「コミュニケーション型AI」の課題
・従来AIと生成AIの両方を理解するAI人材の必要性
AIオーケストレーションとは?
山口教授が次の研究テーマに掲げているのが、AIオーケストレーションです。従来のAIと生成AI、そして人間の三者をどう協力させるか、その枠組みを考える研究です。
| オーケストラのパート | 担い手 | 役割 |
|---|---|---|
| 従来のAI(推論AI・学習AI) | エキスパートシステム、オントロジー、機械学習など | 100%の正確さが求められる定型処理、データからのパターン抽出 |
| 生成AI | 対話・文章生成・画像生成・コード生成など | 発想、対話、文章やコードの生成 |
| 人間(コンダクター) | 従来AIと生成AIの長所・短所を理解した人 | 場面に応じてAIを選び、人とAIの役割分担を考え、全体をコーディネートする。人と人との交渉や、感情を含むコミュニケーションを担う |
「色々なAIが協力して、人間もコンダクターとしてやっていく。そんなAIオーケストレーションという構想を今議論しています。」
――山口教授
オーケストラ全体の統括までAIができるのではないか、という問いに対して、山口教授は「将来はわからないが、当面は人がやる状況になる」と見ています。米国の一部の研究者も取り組み始めたこの分野を、日本でも加速させるべきだと語ります。山口教授自身も毎日1時間以上、生成AIと対話しながら、どのようなAIの組み合わせが有効かを検討し、対話・画像生成・コード生成で異なる生成AIを使い分けているといいます。
生成AIによる雇用の変化と、人とAIの役割分担
生成AIの進化が最も深刻に影響するのは、人の仕事です。米国では、生成AIの登場から半年後の2023年5月、ハリウッドの脚本家がストライキを起こしました。その後も、ゲームの声優やモーションキャプチャーの演技者が、AIによる声や演技の複製からの保護を求めてストライキを行うなど、AIによる仕事の置き換えへの懸念が広がっています。
山口教授は、執筆業や、定型的な業務にとどまる仕事は、ニーズが減っていくと考えておいたほうがよいかもしれないと指摘します。では、人間はどうするのか。人と人との交渉や、知覚・感情を含むトータルなコミュニケーションはAIに任せず人が担う。そのうえで、人とAIロボット、AIシステム、ソフトウェアの役割分担を考え、全体をコーディネートしていく――それがAIオーケストレーションの考え方です。
現場のノウハウの7割は「暗黙知」――生成AIの限界
山口教授は、高速道路会社と連携し、国土交通省の支援を受けて、設備の点検作業を支援するAIスマートグラスの開発に5年ほど取り組みました。点検作業は負担が大きく、若い人材が入らない一方で、ノウハウを持つベテランは定年退職を迎えていきます。メガネの部分に「次はこうしなさい」と指示が出るAIシステムを目指したプロジェクトです。
学生と一緒に20冊ほどのマニュアルを読み込み、研修センターで実際の点検作業を体験しました。すると、大型装置の扉を開けて点検しようとした学生が、「風で閉まらないようにストッパーを下げろ」と指導員に叱られた――マニュアルには書かれていない指示が、次々と出てきたのです。
「実感としては、ノウハウはマニュアルには3割しか書いてありません。」
――山口教授
| ノウハウの種類 | 割合(山口教授の実感) | AIでの扱い |
|---|---|---|
| マニュアルに書かれた知識(形式知) | 約3割 | テキストになっているため、生成AIでも扱える |
| 現場の経験から学ぶ知識(暗黙知) | 約7割 | テキストになっていないため、生成AIは獲得できない。人が体験したうえでAIやロボットに教え込む必要がある |
出典:山口教授への取材より(高速道路設備の点検業務における実感)
生成AIは、テキストになっていない知識を獲得できません。ロボットが自ら体験して学ぶ自律型になるには、まだ数年はかかると山口教授は見ています。ただし、中国の勢いはすさまじく、その予想を上回る可能性もあるといいます。
マニュアルに書かれた「3割」を、誰もが引き出せるように
マニュアルや社内規程に書かれた知識は、AIで誰もがすぐに活用できる形にできます。DEFiDEの「chai+」は、社内の文書やマニュアルを参照して回答するRAG型のAIチャットボットです。形式知をAIで共有することで、人は現場の経験や暗黙知の伝承に時間を使えるようになります。
言葉と感情を統合する「コミュニケーション型AI」の課題
山口教授の研究キーワードの一つがオントロジーです。オントロジーとは、言葉の意味をコンピュータに理解させるための概念の定義です。名詞であれば概念の上位・下位の関係を、動詞であればその主語や目的語にとれる概念を定義します。
| 言葉 | オントロジーでの定義 |
|---|---|
| ステーキ | 「食物」の下位概念 |
| 電話 | 「人工物」の下位概念。「食物」とは排他的な概念 |
| 食べる | 目的語には「食物」の概念しかとれない |
このように定義しておくと、人がロボットをからかって「電話を食べたら美味しかった」と言っても、「電話は人工物なので食べられませんよ」と、意味の誤りに反応できるようになります。
一方で、今の生成AIは言葉だけでやりとりしています。言葉では賛成していても、表情を見ると渋々だとわかり、別の観点から説得を試みる――表情や動作を含めたトータルなコミュニケーションは、まだできていません。感覚処理と知識処理を統合し、人の感情や暗黙知まで扱えるコミュニケーション型AIを、生成AIを基盤にどう作るかが課題です。
米国や中国では、生成AIで動く人型ロボットの開発が主要な競争テーマになっています。山口教授は、日本としては、感情まで扱えるAIロボットを開発していく必要があると感じています。
求められるのは、従来AIと生成AIの両方を理解する人材
AIオーケストレーションで人が指揮者を務めるには、どんな力が必要なのでしょうか。
「誰でも良いのではなくて、従来AIと生成AI、その長所と短所をきちっとわかっていることが最低限必要です。」
――山口教授
しかし、そうした人材は圧倒的に少ないのが現状です。大学でAI教育をしっかり行う必要がありますが、従来のAIを教えられる教員も減っています。かつては「大学教員の仕事は論文を書くこと。共同研究は論文にならない」と言われた時代もありましたが、山口教授は論文執筆が一段落した後、産学連携に軸足を移しました。
論文にはならなくても、現場は課題の宝庫です。その解決のプロセスをきちんと評価し、ノウハウを言語化・外在化して、日本独自のAIを作り、世界に広げていく必要があると山口教授は語ります。
よくある質問(FAQ)
Q. AIオーケストレーションとは何ですか?
A. AIオーケストレーションとは、山口教授が提唱する、従来のAI、生成AI、そして人間の三者を協力させる枠組みです。オーケストラのように、人がコンダクター(指揮者)となり、場面に応じて最適なAIを選び、人とAIの役割分担を考えながら全体をコーディネートします。当面は、全体の統括は人が担うと山口教授は見ています。
Q. 暗黙知とは何ですか?AIで扱えますか?
A. 暗黙知とは、言葉にしきれないが、経験を通じて体が覚えているような知識です。山口教授は、高速道路設備の点検の産学連携で、ノウハウのうちマニュアルに書かれていたのは3割程度で、残り7割は現場の経験から学ぶ暗黙知だったと述べています。生成AIはテキストになっていない知識を獲得できないため、現状では人が体験したうえでAIやロボットに教え込む必要があります。
Q. 生成AIは人の仕事を奪いますか?
A. 米国では、生成AIの登場後、脚本家や声優などがAIによる仕事の置き換えへの懸念からストライキを行いました。山口教授は、定型的な業務にとどまる仕事はニーズが減っていく可能性があるとしたうえで、人とAIの役割分担を考え、人がAI全体をコーディネートしていくことが重要だと述べています。
Q. オントロジーとは何ですか?
A. オントロジーとは、言葉の意味をコンピュータに理解させるための概念の定義です。例えば、「ステーキ」は「食物」の下位概念で、「電話」は「人工物」であり、「食べる」の目的語には食物しかとれない、といった関係を定義しておくことで、「電話を食べた」という発言が意味的におかしいとAIが判断できるようになります。
Q. AIオーケストレーションを担う人材には何が必要ですか?
A. 山口教授は、従来のAIと生成AIそれぞれの長所と短所をきちんと理解していることが最低限必要だと述べています。しかし、そうした人材は圧倒的に少なく、従来のAIを教えられる大学教員も減っているため、大学でのAI教育と、産学連携で現場のノウハウを言語化していくことが重要だとしています。
まとめ:人が指揮者となり、多様なAIと協調する
- AIオーケストレーションとは、人がコンダクターとなり、従来のAI・生成AI・人間の三者を協調させる枠組み
- 生成AIで定型的な仕事のニーズは減りうる。人とAIの役割分担を考え、人が全体をコーディネートする
- 現場のノウハウのうちマニュアルにあるのは約3割。残る7割の暗黙知は、人が体験してAIに教え込む必要がある
- 言葉だけでなく、表情や感情を統合するコミュニケーション型AIの実現が課題
- 指揮者に必要なのは、従来AIと生成AIの長所と短所を理解する力。その人材の育成が急務
後編では、3種類のAIを統括する「AIプロデューサー」の必要性、日本企業のデータ統合を阻む組織の壁、そして米中の開発競争の中で日本が勝負すべき「人と共創する優しいAI」について伺います。
AIを「使い分けられる人材」は育っていますか?
AIオーケストレーションを担うには、まず組織の中でAIがどう使われているかを知ることが出発点です。DEFiDEの「生成AIワークバリュー・スコア分析」で、組織の生成AI活用の状況を把握し、育成の優先順位を明確にできます。
▶ 前編:AIの種類と使い分けとは?生成AI万能論の落とし穴
▶ 後編:AIプロデューサーとは?3種のAIを統括する人材と、日本が勝てる「優しいAI」
▶ インタビュー全文:生成AI万能論を越え、人と多様なAIが協調する時代へ(中編)
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