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卒業式のアカデミックドレス(ガウンと角帽)を着用し、夕暮れの公園で微笑む女性_メインビジュアル_sp

2026.03.26

生成AI時代に人間は何を磨くべきか――寄り添うAIへの挑戦と教育改革の最前線を追う(中編)

生成AIの進化は、単なる技術の高度化ではない。知識の生成や創造、さらには判断のサポートまでもが自動化される時代に入り、改めて人間の役割そのものが問い直されている。では、AIと共に生きる社会において、私たちは何を拠り所にし、どの能力を磨くべきなのか――。京都橘大学工学部教授・松原仁氏は、スポーツAIや観光情報学、「人に寄り添うAI」の研究を通じて、人間とAIの幸福な関係を追究してきた日本の第一人者である。本インタビューでは三回にわたり、弊社代表の山本が松原氏に教育改革、創造性、リテラシー、そして鉄腕アトムに象徴される未来像を聞いた。AIを突き詰めることは、人間とは何かを探る営みに他ならない。その最前線から、次代を生きる私たちへの示唆を届けていきたい。中編では、AI時代における大学教育のあり方や「人に寄り添うAI」開発の現状を聞いた。 

京都橘大学工学部学部長・教授 
松原 仁 氏 

 

PROFILE

工学博士。1959年、東京都生まれ。1986年東京大学大学院情報工学専攻博士課程修了。 
通商産業省工業技術院電子技術総合研究所(現・産業技術総合研究所)研究員、 
2000年より公立はこだて未来大学教授、 
2020年より東京大学教授を経て、2024年より京都橘大学工学部教授。2025年より同学工学部学部長。 
第15代人工知能学会会長(2014-2016)、情報処理学会副会長を歴任。 
AIUEO(Artificial Intelligence Ultra Eccentric Organization:AI超変態集団)の中心メンバー。 

著書に、『鉄腕アトムは実現できるか?』(河出書房新社)、『将棋とコンピュータ』(共立出版)、『AIに心は宿るのか』(集英社インターナショナル)、『文系のためのめっちゃやさしい人工知能』(ニュートンプレス)、『やさしくわかる!文系のための東大の先生が教えるChat GPT』(ニュートンプレス)などがある。  

 

 

 

【中編のエッセンス】

 

松原先生は、常に新しい環境へ身を置く好奇心を原動力に研究と教育の最前線を歩んできた。生成AI時代において従来型の情報教育は転換期にあり、基礎を守りつつも活用力を育てる改革が不可欠だと説く。また「人に寄り添うAI」という理念のもと、鉄腕アトムに象徴される共生型ロボットの実現を次世代へ託す。AIが急速に進化する中で、人間に求められるのはAIリテラシー、コミュニケーション力、そして最終的に責任を負う「選択力」であると強調する。

 

 

【中編のキーメッセージ】  

 

キーメッセージ① 

生成AI時代の教育は転換点にある。基礎を守りつつ活用力と判断力を育てる再設計が不可欠。

 

キーメッセージ② 

AIは知識では人に迫るが、感情や文脈理解は未成熟。寄り添う存在への進化はこれから。

 

キーメッセージ 

AIが答えを提示する時代、人間に残る最重要の役割は「選び、責任を負う力」である。

01

生成AI時代に大学教育はどう変わるべきか――揺れる情報系カリキュラム

夕暮れの並木道を歩きながら、角帽を掲げる卒業生の男性の後ろ姿

―公立はこだて未来大学を退職されて、東京大学を経て京都橘大学に赴任されました。環境が大きく変わられましたが、そのフットワークの軽さは素晴らしいですね。何か秘訣があったら教えていただきたいのですが。いかがでしょうか。 

筑波にあった電子技術総合研究所(電総研。現:産業技術総合研究所)を辞めたのが2000年です。その時には、「なぜ日本のトップクラスの研究所を辞めて、出来たばかりの公立はこだて未来大学に行くのか」と不思議がられました。そういう意味では、好奇心旺盛と言ったら良いのでしょか。AI を研究分野に選んだのもそうでした。刺激的なこと、新しいところに自分の身を置いておきたいというのが、人生のモットーと言えるほどすごいものではないとはいえ、若い頃からそうやって生きてきました。 

今回も、「京都で新しいロボティクス学科を作るので面倒見てほしい」と要請されました。それは、自分にとっては冒険です。少なくとも精神が老いないためには、そういう新しいフィールドで、かつ刺激のある場に自分の身を置くのが良いのではと思いました。 

―好奇心が若さを保つ秘訣だと思います。非常に松原先生のお考えに共感できます。はこだて未来大学も情報系では結構有名な大学です。日本でも特色ある大学が随分出てきたなという気がします。松原先生が長年教鞭を取られていて、日本の大学教育が今のAI 時代に適応できているのか、できていないのか。日本が今後どういうふうに教育を含めて変わっていかないといけないのか。教育自体がこれまでの教育で良いのか。それともある意味、今変革期であるので、教育自体を変えていくべきなのか。先生の持論をご教示いただければと思います。  

変えなければいけないと思っています。ロボティクスも情報系もですけれど、従来例えばプログラミング教育を叩きこむわけです。しかし、ご存知の通り生成AI、バイブコーディング(AIを活用して自然言語で指示を出し、アプリ開発を進める新しいコーディング手法)でかなりのプログラムができるようになっています。 

それだけに、「従来型のプログラミング教育で良いのか」と教員が集まるともうすごい議論になりますが、結論は出ません。そうは言っても、プログラムを読んで「これがしっかりとしているのか」「そうではないのか」がわかる能力は必要です。なので、「従来通りに教える」べきだ」「叩き込むべきだ」という考え方もあれば、「いやあ、そこはあれだけ時間を掛けて叩き込むのではなく、もう少しバイブコーディングや生成AIを使って、プログラムを修正する能力の向上を目指した方が良いのではないか」という意見もあります。 

いずれにしろ、「今のままではダメだ」とは思われます。ただ、プログラミングだけではなくて、昔のアルゴリズム(問題解決の手順)とデータ構造(データを効率的に管理・収納するための整理方法)みたいな授業という、情報系の基本中の基本をやっぱり今後も教えるべきなのかは判断しがたいです。今やアルゴリズムとデータ構造はわからなくても書けるし、開発ができるという考え方もあります。その辺りも、「もう少しビジネス寄りの授業を情報系も置いていくべきだ」と考え方もあると思います。僕自身も同感です。 

ただ、難しいのは情報系の基礎中の基礎です。例えば僕が大事だと思っているのは、情報計算量爆発や組み合わせ爆発(問題の規模が拡大するにつれて、解の数が指数関数的に増大し、計算が現実的な時間内に終わらなくなる現象)みたいな概念です。難しい理論は知らなくても良いのですが、このアルゴリズムでやって、nが4の時には動くけれどnが10になったら動かなくなるという、鼠算みたいなものです。これは情報系の人は持っていないと生きていけないと思うので教えます。 

それは、あくまでも一例ですが、どうやらなければいけないのかと議論している場合でもない気もします。しかし、実際には情報系の同僚が集まると、そういう話をしていて「これだけは教えてあげたい」などと言いあっています。  

―人が知識を獲得していくスピードより、AI が知識獲得していくスピードの方が圧倒的に早いので、活用できるのはもう AI に活用させるというのも一方であります。それこそ、それの基礎となる部分、それこそ「バイナリーコード(情報を二進法で表現する方法)とはどういうものか」「マシンラーニング(コンピュータがデータを自動的に学習し、パターンを見つけ出していく技術)はどうなんだ」とかいう基礎的な話も知っておかないといけないと思います。それを全部詰め込むのは、情報が爆発した今の時代においては、時間的にも人間の能力を超えてしまいます。 

02

「人に寄り添うAI」への道程――鉄腕アトムづくりは何合目か

―松原先生は以前から「人に寄り添うAI」の開発を目指されています。それはどういったものなのでしょうか。 

 

これも、僕にとっての最初のロボットが鉄腕アトムだったということがあります。AIやロボットは、人から見ると道具なのですが、道具の中でも要するに付き合う、何か作業をしてもらうのもつなるということなので、心情も含めて人間に付き添って、人間がより良い生活、より幸福な生活をサポートする道具であってほしいです。特に、AI やロボティクスに対して僕は学生時代からずっとそう思って来ました。   

 

それは、やはりロボットが「友達であってほしい」という願望でもあります。この感覚は欧米ではあまりなかったりします。なぜなら、人間は支配するもので、ロボットが支配されるものだという感覚だからです。一方、日本は、それこそ鉄腕アトムやドラえもんの感覚だと思います。僕は、そういう社会を本当に実現したいと思っているので事あるごとに寄り添う、人を幸せにするために存在するというのが原点で、全てのロボットの行動はそこから決まっていくものだと思っています。 

 

―人に寄り添うAI、人に寄り添うロボット作り、今何合目まで来ている印象ですか。 

 

三号目か四号目ぐらいです。 

 

―まだまだ先は長いですね。 

 

長いですね。しかし、この十年ぐらいでだいぶ進歩しました。それまでだったら、「一号目か二号目」と言っていたと思いますから。ご存知の通り、生成AI はかなり人に寄り添います。もちろん、あれで十分だとは思いませんが、その方向には結構進んできたと思います。  

 

―残り六号、七号を詰めていくにも、先生には長生きしていただきたいです。 

 

そうですね。ただ、最初から僕自身だけの力で鉄腕アトムができるかどうかは技術的に怪しいと思っていました。だから、ロボカップ(自律移動型ロボットによる競技会)というロボットのサッカーを僕やソニーCSLの北野宏明氏や大阪大学の浅田稔先生(いずれも当時)らが1993年に提案しました。ロボカップは、もちろんロボットの最先端を競う場でもあるのですが、若い研究者や学生などがロボットやAI に興味を持ってもらう場にしたいという想いが強いです。 

 

今回も国立大学を定年退職して、京都橘大学という私立大学でロボティクス学科を開くのも、人に寄り添うロボットづくりという考えを引き継いでもらう人材を輩出したかったからです。別に鉄腕アトムでなくて良いのです。広く世界中に広がってくれると良いなと思っています。  

 

―日本大学の大沢正彦先生は、ドラえもんを作ることを目指しておられます。  

 

知っています。彼はドラえもんですね。僕もだいぶ前にお会いしました。僕は「鉄腕アトム」と言って、彼が「ドラえもん」と言っていたことを覚えています。 

 

―今ロボットはものすごく人に近づいていると思っています。それこそ、戦争に使われるようなものもできて来ています。さらに、ロボットに関していえば、中国企業もかなり進んでいて、ヒューマノイドに関して言えば他国を圧倒しています。もちろん、日本でもFANUCなど有名な企業もあるのですが、人に近い部分という観点で言うと鉄腕アトムに結構近いと思います。松原先生が追い求めておられるフィジカル面はもう十分できて来ている中、鉄腕アトムになるためには、やはり人の感覚を読む力であるとか、本来人が持っている感性など、なかなか言葉では表現しづらい部分も入ってくると鉄腕アトムに近づいていくのではないかとお話を聞いていて感じました。いかがですか。

 

そうですね。知識はもう十分です。しかし、感覚みたいなものは、実際にやりとりをして経験を積まないといけません。20年掛かるかどうかわかりませんが、赤ちゃんロボットみたいなものを世の中にポンと置いて、その赤ちゃんロボットを通じて自分が見聞きしたもので、世の中がどう変化するのか、変化しないのかは、ある程度時間を掛けないと得られません。20年を一瞬にというのは、なかなかできない話だと思います。僕もそれに関係する研究を始めています。世界中で赤ちゃんロボットを育てるみたいなプロジェクトです。それがそこそこ上手くいけば鉄腕アトムっぽくなるのではないかと期待しています。  

 

―鉄腕アトムの実現は、やはり日本でなければできないと思います。ドラえもんにしても。AI研究に携わる多くの先生は出発点が鉄腕アトムやドラえもんであったりします。非常に影響を受けています。実際に、日本から鉄腕アトムみたいなものが出てくると面白いと思っています。その実現に向けて、松原先生が若い方たちに夢を語っていただけるとありがたいです。京都橘大学ではその想いを学生たちにどのように伝えていくつもりですか。 

 

そうですね。4月から1回生向けに「ロボティクス概論」という授業がスタートします。オムニバス形式で教員が色々な話をするのですが、トップバッターを僕が担当します。そこで、鉄腕アトム愛と言うか、もちろん学生たちは僕と世代が違うので鉄腕アトムでなくても良いのですが、「こういう愛を持って、ぜひその実現を目指してほしい」と伝えたいと思います。逆に言うと、想いが伝われば勉強してくれる気がしています。

03

ChatGPTは小学生か大学生か――知能と人間性のギャップ

夕日に照らされた海辺を歩く、大人と子供のシルエット

―その実現に向けてChatGPTは大きな武器になると思っています。ただ、松原先生は「まだ1歳に過ぎない」と評価されていましたね。

 

確かに以前取材を受けた媒体では「1歳だ」と言いました。ただ、その後ChatGPTは格段に進歩していますからね。今の僕の感覚では、小学生ぐらいまでは来たかなと思っています。

 

―小学生まで来ましたか。

 

はい。それらしいことを言うようになっているという意味で、小学生だと表現しました。 ただ、中身は全然わかっていません。だから、まだまだ子供だということです。それでも、人間は 1年毎しか進歩しないのですが、生成AIは少なくともその10倍ぐらいのスピードで指数関数的に進歩しています。それでも、現状はまだ子供だと思います。

 

―今後かなり伸びしろがある小学生だと思います。大人になるためには、何が足りないのでしょうか。2026年の大学入学共通テストでOpen AI のフロンティアモデルChatGPT GPT-5.2 Thinkingが9科目で満点を取りました。なので、知能という観点からいくと、もう大学生のレベルにあると思うのですが、どこにギャップがありますか。

 

仰るように「まだ小学生だ」いうのは厳しい言い方かもしれません。実際、「もう人間を超えている」と指摘する人もいるぐらいですからね。知能という面で、そこまで行っているのはそうだと思うのですが、純粋な知識という意味ですかね。

 

僕は、広い意味での知能はコミュニケーション能力や人の感覚、考えの裏を読む能力もすべて含まれると思っています。そこら辺りが、まだまだ人間には劣ると思っています。僕の言うこと、僕の本心を分かってくれていないという感じがありますね。僕もGPT-5とずっと付き合って来て、僕の思考パターンは大体分かってくれているような気はするものの、僕が「なぜ今こう言っているのか」をまだわかってくれていない印象を持っています。なので、小学生と申し上げました。

 

―素晴らしいご回答だと思います。 私も同意見です。やはり、エモーショナルな部分は人にしか出さません。知識を抱え込んだ情報という観点からいくと、日本の現代のシステム自体があまり良くないのかもしれませんが、どれだけメモリーが入っていれば良いかだけを重視しがちです。そうすると今の Chat GPTにはメモリーが沢山入っているので知識も入っていると見られてしまいます。

 

大学の教員として見ると、入試は人間の能力を測るものです。要するに、「AIが100%解ける問題を人間に聞いてどうするのか」と思います。そういう意味では、「ならば試験問題で何を聞けば良いのか」と言われると詰まってしまいます。試験という制度はすぐには変わらないと思います。

 

今や人間社会では皆スマホを使って生活しています。それなのに、試験の時だけスマホなしで知識を聞いてどうするのかという気がしないでもないです。実は皆違和感を持っていると思いますよ。

04

AIと共に生きる条件――リテラシーとコミュニケーション力、選択力の本質

―いずれにしても、今後、AIの進歩に人間はキャッチアップしていかなければいけません。そのために必要な能力は、「AIリテラシー」「コミュニケーション力」「考えて選ぶ力」であると松原先生は指摘されています。それぞれをいかに身に付けていけば良いのでしょうか。

 

「AIリテラシー」は、実はそれこそ子どもというか、中学生・高校生から大学生ぐらいが結構持っている気がします。要するに、スマートフォンなどでAIを活用したアプリを使っています。なので、「AIは便利だけど間違うこともある」「嘘を言うこともあるよね。だから、それなりに距離を保って付き合わないといけない」という感覚があります。 これはもう実体験するしかないのです。

 

実はAIに騙されて些細な間違いや失敗をするということも含めて、AIを100%信用してはいけないし、敵対しても得るものもない。「良いところは良い、悪いところは悪い」と思って付き合うという感覚が重要です。人間も知り合ってからわかるまでに時間が掛かるように、AIもそうなのです。だから、AIを毛嫌いすることもなく、かと言って「神だ」と思って言うことを全部信じるのも良くないという感覚を磨いて欲しいです。これは、本来であれば小学校ぐらいからもっとしっかり取り組むべきだと思っています。今はまだそれができていないので、自分の生活の中で得てもらうしかありません。

 

「コミュニケーション能力」に関しては、人間だけではなくてAIも一種類ではなくて、色々なAIがあると思います。「こういう場合はこのAIを使う」とか。人間もそうですよね。映画に行く時には映画の趣味が似ているAさんと一緒に行くし、ご飯を食べに行く時は食事の好みが合っているBさんと行きますよね。仕事はC君に聞くとか。

 

AIも1種類ではないです。「こういうことを聞く時にはこの AI に聞く」とか、そういうのも含めて、これも「AIリテラシー」に重なりますが、これは「コミュニケーション能力」なので、AI が出る前からずっと言われていることですが、個人的にはこれも経験しかないと思っています。恥をかくことも含めてです。

 

最後の「選択力」が、実はこれからの世の中で人間が成功する、上手くやっていくために一番大事になってくる能力だと思っています。これまでも実は大事だったのでしょうがね。要するに、ネタは全部 AI がくれるような時代になりつつあるわけです。生成AIに聞いたら、かなりまともなことを答えてくれます。その時に幾つかの選択肢が出て来ます。何を採用・採択するかは、人間次第です。一応 AI は「これが良いと思います」と言いますが、自分は価値観としてこれを優先するので、「この場合はこれを選ぶ」と選んだ結果には責任を持たないといけません。それが大げさに言うと人間に残された仕事というか、役割分担だと僕は思っています。

 

現時点でもネタはもうかなり提示してくれます。今後もAI はどんどん進歩するので、ネタはAI がかなり正確に与えてくれます。ただ、AI には責任は取れません。たとえ、どんなに進歩してもです。なぜなら、AIは生物でないからです。責任は、人間の間の概念です。責任は良い方も含みます。何かをやって、それで良いことが起きたから、それの報酬がその人に行くっていうのも、広い意味での責任だと思います。

 

逆に、失敗した時に償わなければいけない、賠償をしないといけない、謝罪しないといけないということも含めます。AIが形だけ謝っても人間社会での謝罪にはならないので、そこは自分が何かの AI の結果でやって失敗したら、AI のせいにはできずに、AI の言ったことを選択した自分の責任です。そこをわかってAI を作る、使う必要があります。これは「AIリテラシー」の一つでもありますけれど、そういうことが大事だと思っています

05

学び直しが日本を救う――リカレント教育と中高年のAI対応

陽光が差し込む野原で本を読む、青いチェック柄のシャツを着た男性

―創造性という観点でAIによる映画の脚本づくりに挑まれておられるとのお話でしたが、松原先生はティリー・ノーウッドをご存じですか。実は、AIで生成された女優です。昨年、チューリッヒ映画祭で初めてお披露目され、かなり話題を集めました。これからは、役者自体もAIで作れるという、すごい時代になって来ます。その流れに人間がキャッチアップしていくためには、「AIリテラシー」が重要な要素として入ってくると、松原先生がご指摘されておられました。若い人たちは、元々デジタルキッズと言われるように、もう生まれ育った環境からスマートフォンを与えられたりして見ているので、ある程度彼ら・彼女ら自身はわかっていたりすると思います。それこそミレニアム以上、特に X 世代とかになってくると、多分区別がつかないと思います。実際、詐欺や特殊犯罪にも使われたりしています。僕はどちらかと言うと、「AIリテラシー」というのは、高齢者を含めた40代以上の人たちに対して警笛を鳴らしていかないといけないと思います。松原先生はどうお考えになりますか。

 

仰る通りです。本当に若い人たちはわかっていると思います。もう身体的感覚でね。見たもの、聞いたものを全部信じてはいけないと言うことを。問題は、40歳以上の中高年です。大学の教員として言うと、日本は仕事している人や主婦として家庭に入った人に対する教育の機会自体がそもそもなかったりします。

 

―日本は他の国に比べると、リカレント教育が遅れているような気がします。いかがですか。

 

そう思います。一応、京都橘大学では「情報学リスキリング講座」の名の下、アカウントを作ってくれれば、情報学を体系的に学べる授業を全科目オンデマンドで無償提供しています。文部科学省 成長分野における即戦力人材輩出に向けたリカレント教育推進事業にも採択されているので、興味があったら受講していただきたいです。

参考:京都橘大学情報学リスキリング講座|京都橘大学|KYOTOリカレントプラス

 

―無償とは、素晴らしいですね。

 

AI の普通の授業はあるものの、実は「 AI リテラシー」そのものはなかったりします。そこで、今大学に対して、「いわゆる生成AIの使い方みたいな授業を入れた方が良いのでは」と提案しているところです。