慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)教授
南澤 孝太(みなみざわ こうた)氏
PROFILE
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)教授。2005年東京大学工学部計数工学科卒業、2010年同大学院情報理工学系研究科博士課程修了、博士(情報理工学)。KMD Embodied Media Projectを主宰し、身体的経験を共有・創造・拡張する「身体性メディア」の研究開発と社会実装、Haptic Design Projectを通じた触覚デザインの普及を推進。日本学術会議若手アカデミー幹事、テレイグジスタンス株式会社技術顧問、科学技術振興機構(JST)ムーンショット型研究開発事業 目標1「Project Cybernetic being」プロジェクトマネージャーを兼務。慶應義塾大学義塾賞(2022)、ACM CHI Best Paper Award(2025)、グッドデザイン賞(2012、2017)など受賞多数。
身体のDXとは、人の身体が持つ経験や感情、技能などの情報をデジタル化し、記録・共有・拡張できるようにすることです。
オフィスの書類が紙からデジタルになり、手軽に送ったり複製したりできるようになったように、人の身体の経験もデジタルでやりとりできる時代が始まっています。慶應義塾大学の南澤孝太教授は、触覚技術を軸に、職人の技や身体の感覚を伝え合う「身体性メディア」の研究と社会実装に取り組んでいます。
本記事では、南澤教授へのインタビュー(聞き手:デフィデ株式会社 代表 山本哲也)をもとに、身体性メディアと身体のDXの考え方、触覚で職人技を伝える取り組み、シンプルに作る設計思想、そして触覚をエンタメや福祉に生かすハプティックデザインについて解説します。
この記事でわかること
・身体性メディアとは何か
・身体のDX――経験や技能をデジタルでやりとりする時代
・触覚で職人技を伝える取り組みと、「技をダウンロードする」未来
・現場で使える技術にするための「シンプルに作る」設計思想
・ハプティックデザインが生み出す、エンタメ・福祉・通信の新しい体験
身体性メディアとは?
南澤教授は、人の身体感覚をデジタル技術でどう記録・再生し、離れた人々をつなげ、さらに拡張していくかを研究し、これを「身体性メディア(Embodied Media)」と名づけています。身体を通じて感じる経験を、デジタル技術やロボット技術で共有する、拡張する、あるいはゼロから創造する――そうした技術の総称です。
オンラインで会話しているとき、私たちの目と耳はすでにデジタルの側に乗り、距離を越えてつながっています。これを目と耳だけでなく、物に触れる皮膚感覚や、体を動かす運動機能まで含めて、人がデジタルネットワーク上で拡張され、つながっていく未来を目指しています。
| 用語 | 意味(一文定義) |
|---|---|
| 身体性メディア | 身体を通じて感じる経験を、デジタル技術やロボット技術で共有・拡張・創造する技術の総称 |
| 身体のDX | 人の身体が持つ経験や技能をデジタル化し、保存・共有・伝送・AIへの取り込みができるようにすること |
| ハプティクス | 触覚、または触覚を扱う技術 |
| 触覚アクチュエータ | 振動などで触覚を再生する装置 |
| アバターロボット | 離れた場所から操作し、利用者の分身として動くロボット |
身体のDX――経験と能力をデジタルでやりとりする時代
2014年の「VR元年」以降、VRやメタバースが社会に広がり、コロナ禍を経てその流れは加速しました。今では、AIやロボットがVRとつながって現実世界を仮想空間に再現するデジタルツインを構成し、その中で車やロボットを実際の何千倍ものスピードで学習させる、人の動きを学習して技をAIに取り込み、ロボットで実体を与えるといったことが、米国や中国を中心に急速に進んでいます。
その中で南澤教授が関心を持つのは、AIやロボットそのものより、そのときに人間はどうするのかという側です。コロナ禍を経て、オンラインで打ち合わせをすることは誰にとっても当たり前になりました。価値観や文化のレベルで、大きな変化が起きたのです。
「今までは自分の肉体が必然で、何か行動するときは肉体をそこに移動させないといけなかったのですが、肉体を移動させなくともデジタル上で経験と能力だけをやりとりできる時代が、既に到来しはじめているということです。」
――南澤教授
| オフィスのDX | 身体のDX | |
|---|---|---|
| 対象 | 紙の書類 | 人の身体が持つ経験、感情、技能 |
| デジタル化で起きること | 手軽に送る、複製する、保存する | 保存する、共有する、遠くに送る、AIに取り込んで生成する |
| もたらす変化 | 場所や紙の制約を越えて仕事ができる | 空間や時間の制約を越えて活動できる |
触覚で職人技を伝える――「技をダウンロードする」未来
南澤教授らは、日本工芸産地協会との共同研究の一環で、沖縄で約300年の伝統を持つ陶芸の窯元を毎月のように訪れ、職人だけが持つ高度な技を触覚によって記録する取り組みを行いました。
経験2〜3年の若手と経験30年のベテランでは、体の動かし方も指先の感覚もまったく違います。それを互いに体験すると、どこでどう身体を動かし、力を入れたり抜いたりすればよいかが理解しやすくなります。ベテランの作業中の感覚をリアルタイムで記録し、目の前の若手が作業を見ながら同時に身体で感じてコツをつかむ試みも行っています。大阪・関西万博の「工芸産地博覧会」でも、陶芸の経験者から子どもまで、多くの来場者がこの技を体感しました。
職人技の継承は、多くの産地で切実な課題です。伝統的工芸品の従業者数は、ピークだった1979年の約28.8万人から、2013年には約6.5万人と、およそ5分の1にまで減少しています。
| 年 | 伝統的工芸品の従業者数 |
|---|---|
| 1979年(ピーク) | 約28.8万人 |
| 2013年 | 約6.5万人 |
出典:一般社団法人日本工芸産地協会「地域サプライチェーンと小規模事業者の関係~工芸業界の場合~」(中小企業庁 審議会資料、2018年)
技能や経験がデジタルで記録されてインターネット上に上がれば、今度はそれをダウンロードすることもできるようになります。アプリストアからアプリを入れるように職人の技をダウンロードする。目の前で人が倒れたとき、救急救命士の技をダウンロードし、身に付けた装具で再生しながら対応する――技能や経験がデジタルで流通する未来を、南澤教授は身体のDXで実現しようとしています。
言葉にできるノウハウは、AIで誰もが引き出せる形に
身体で覚えるコツは触覚で、手順や判断の基準など言葉にできる知識は社内の文書で。DEFiDEの「chai+」は、社内の文書やマニュアルを参照して回答するRAG型のAIチャットボットです。熟練者の知識を、誰もがすぐに引き出せるナレッジとして共有・継承できます。
現場で使える技術にする――「シンプルに作る」設計思想
職人の技を記録するには、指一本一本や関節まで、たくさんのセンサーが必要なのでしょうか。南澤教授の答えは「実用性とのバランス」です。センサーを増やせば記録できる情報は増えますが、複雑になりすぎると現場で使えなくなってしまいます。
そこで南澤教授らは、極力機能を絞るアプローチを取っています。陶芸の例では、送受信するのは指先で感じる土の触感と、手首に込めている力程度に絞り、その他はいったん無視しています。壺を作るにしても、まったく同じ形を作る必要はなく、大事なのは力加減を感じてコツをつかむことだからです。
「位置そのものよりも感じている力や込めている力の方が大事だというのが、僕らのアプローチです。」
――南澤教授
再生するときも、動きそのものは多少ずれていても受け手に委ね、「こういう力加減で、こういう手触り」だということを感じられるようにしています。何を伝えるべきかを見極め、そこに絞る――それが、研究を現場に届けるための設計思想です。
ハプティックデザイン――触覚で新しい価値と体験を生む
南澤教授は、2010年に博士課程を修了すると、子どもから高齢者まで誰でも扱える触覚技術の道具「TECHTILE toolkit」を開発し、企業や子ども、高齢者施設、芸術系の学生などを訪ね、年間数十回のワークショップで触覚の可能性を伝えてきました。やがて「新しいゲーム機に触覚を入れたい」「テレビ放送や携帯電話に触覚を」といった相談が寄せられるようになり、技術をシンプルにしたうえで、それを使って価値や体験を生み出す人を増やすために、2014年に「ハプティックデザインプロジェクト」を立ち上げました。
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プロジェクトでは、触覚を通じて人やモノとの関係性をデザインする「ハプティックデザイナー」という職業名も提唱しました。
「新しい「職業」として名付けることで、その人に触覚に関わる案件が集まるので、必然的にノウハウも溜まり、ビジネスが生まれ、人材が育成されていきます。」
――南澤教授
触覚が生み出す新しい体験
| プロジェクト | 内容 |
|---|---|
| Synesthesia Suit(共感覚スーツ) | VRヘッドセットの発売にあわせてゲームメーカーと共同開発した全身触覚スーツ。数十個の触覚アクチュエータで、ゲームの中の「飛ぶ」「撃たれる」「ビームを放つ」といった現実にない感覚を全身で感じられる。視覚に障がいのある人が、周囲の状況を体の感覚として知る用途にも応用 |
| Karada Tap | ライブのステージと客席を触覚でつなぎ、耳の聞こえないダンサーの踊りの振動を観客の椅子に伝える。耳の聞こえない観客も、目で見たものと身体で感じるリズムが合わさった体験を楽しめる |
| FEEL TECH(フィールテック) | NTTドコモと2023年から進める、離れていても触れ合える次世代のコミュニケーション技術。大阪・関西万博では、花火の振動を触覚とともに体感できる映像体験や、バスケットボールの試合を触覚付きで中継するライブビューイングを実施 |
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エンターテインメントの没入感を高めることから、障がいのある人の感覚を補うこと、離れた人とのコミュニケーションまで――触覚の活用は、今後さらに広がっていくと南澤教授は見ています。
原点は、ディズニーランドのアトラクションとVR
浦安で育った南澤教授は、ディズニーランドのアトラクションの裏側にある照明や音響、ロボティクスに興味を持つ子どもでした。中学・高校時代は秋葉原に通う電子工作少年。東京大学の学園祭でVRサークルと出会い、日本でVRを立ち上げた舘暲氏(東京大学名誉教授)の研究室に進みました。
大学院に入った2005年、3D映像を見せる技術は研究から産業へと移りつつありました。「見る機械ができたら、次は触りたい」――そうして触覚の研究を始めたといいます。現在所属する慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)は、デザイン、テクノロジー、マネジメント、ポリシーを柱に、新しい技術を生み出し、プロダクトやサービスとしてデザインし、ビジネスや社会制度まで変えていくことを目指す大学院です。
よくある質問(FAQ)
Q. 身体のDXとは何ですか?
A. 身体のDXとは、人の身体が持つ経験や感情、技能などの情報をデジタル化し、保存・共有・遠隔への伝送、さらにはAIへの取り込みができるようにすることです。南澤教授は、オフィスの書類が紙からデジタルになったのと同じように、人が空間や時間の制約を越えて活動できるようになる変化だと説明しています。
Q. 身体性メディアとは何ですか?
A. 身体性メディア(Embodied Media)とは、人が身体を通じて感じる経験を、デジタル技術やロボット技術で共有し、拡張し、あるいはゼロから創造する技術の総称です。オンライン会議で目と耳がデジタルでつながっているように、皮膚感覚や身体の動きまで含めてつながる未来を目指しています。
Q. 触覚技術で職人技を伝えることはできますか?
A. 南澤教授らは、沖縄の陶芸の窯元で職人の技を触覚で記録し、ベテランと若手が互いの感覚を体験する取り組みを行いました。どこで力を入れ、どこで抜くかといった言葉にしにくいコツを、身体で感じて理解しやすくなります。大阪・関西万博では来場者も体験しました。
Q. 触覚の記録にはたくさんのセンサーが必要ですか?
A. 南澤教授は、機能を増やしすぎると現場で使えなくなるため、極力シンプルにするアプローチを取っています。陶芸の例では、送受信するのは指先で感じる土の触感と、手首に込めている力程度に絞っています。位置そのものより、感じている力や込めている力のほうが大事だという考え方です。
Q. ハプティックデザインとは何ですか?
A. 触覚(ハプティクス)を使って、人とモノ、人と人との身体を通じた関係性をデザインすることです。南澤教授は2014年にハプティックデザインプロジェクトを立ち上げ、触覚を扱う「ハプティックデザイナー」という職業名も提唱しました。名前をつけることで仕事やノウハウが集まり、人材が育つエコシステムが生まれることを狙っています。
まとめ:経験や技能は、デジタルで伝え合える時代へ
- 身体性メディアとは、身体を通じた経験をデジタルやロボット技術で共有・拡張・創造する技術
- 身体のDXで、人は肉体を移動させなくても経験と能力をやりとりできるようになりつつある
- 触覚で職人技を記録・共有し、将来は「技をダウンロードする」ことも目指している
- 現場で使える技術にするには、伝えるべき情報を見極めてシンプルに作ることが大切
- ハプティックデザインは、エンタメ、福祉、通信などで新しい体験と価値を生み出している
後編では、分身ロボットで障がいや距離を越えて働く「サイバネティック・アバター」の研究、AIを「身体のアシスタント」として活用する考え方、そして成果を生む産学連携と共創・越境の進め方について伺います。
まずは、オフィスのDXから
身体のDXの考え方は、オフィスのDXと同じです。DEFiDEの社内業務クラウド「SmartOps」は、AI-OCRによる紙の書類のデータ化や、AIエージェントによる社内手続きの確認、社内情報の検索など、オフィスの定型業務をAIで効率化します。基本機能はずっと無料です。
▶ 後編:サイバネティック・アバターとは?分身ロボットで障がいや距離を越えて働く未来
▶ インタビュー全文:共創と越境により新たな時代をデザインする(前編)
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