東京大学大学院 情報理工学系研究科 電子情報学専攻 教授
伊庭 斉志(いば ひとし)氏
PROFILE
東京大学大学院 情報理工学系研究科 電子情報学専攻 教授。工学博士。1985年東京大学理学部情報科学科卒業、1990年東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻博士課程修了、同年電子技術総合研究所入所。1996〜1997年スタンフォード大学客員研究員、1998年東京大学大学院工学系研究科電子情報工学専攻助教授、2004年東京大学大学院新領域創成科学研究科基盤情報学専攻教授を経て、2011年から現職。進化型システムと人工知能基礎の研究に従事し、進化計算・遺伝的プログラミング・人工生命・機械学習・ロボティクスなどを幅広く研究している。
進化計算(Evolutionary Computation)とは、生物の進化――「選択」「交叉(有性生殖)」「突然変異」――の仕組みをコンピュータ上で再現し、正解が事前にわからない問題の最適解を探し出すAI手法の総称です。
数式を立てて解くことが難しい設計課題でも、多数の候補を世代交代させることで優れた解へ近づけられるのが最大の特長です。実際に、新幹線N700系の先頭形状「エアロ・ダブルウィング」の開発では遺伝的アルゴリズムを用いた解析が行われました。
本記事では、1980年代からAI研究の「冬」と「春」を経験してきた東京大学大学院 伊庭斉志教授へのインタビュー(聞き手:DEFiDE代表 山本)をもとに、進化計算の基本から仕組み、ビジネスでの活用領域、そして生成AIとの関係までをわかりやすく解説します。
この記事でわかること
・進化計算・群知能・メタヒューリスティクスの意味と違い
・進化計算が最適解を見つける4つのステップ(新幹線N700系の事例)
・ロボット、金融、医療、生成AIなどビジネスでの活用領域
・活用する際の注意点と、「超知能」をめぐる専門家の見解
進化計算とは?基本の定義と関連用語
進化計算は、単一のアルゴリズムの名前ではなく、生物進化のメカニズムを使って最適化問題を解く手法の総称です。伊庭教授は「進化計算というのは一つの考え方」だと説明します。近い考え方に、蟻や蜂のように「群れが集団全体で問題を解く」群知能があり、これらをまとめてメタヒューリスティクスと呼びます。
まずは、本記事に登場する主要な用語を一文で整理しておきましょう。
| 用語 | 意味(一文定義) |
|---|---|
| 進化計算 | 生物の進化の仕組みを使って最適化問題を解くアルゴリズムの総称 |
| 遺伝的アルゴリズム(GA) | 候補を遺伝子のように表現し、交叉と突然変異で世代交代させる進化計算の代表的手法 |
| 群知能 | 単純なルールで動く個体の集まりが、全体として高度な問題を解く現象、またはその応用手法 |
| ヒューリスティクス | 必ずではないが大体うまくいく、問題解決のための経験的な知識 |
| メタヒューリスティクス | 生命現象や物理現象の考え方を用いて最適化を行う手法の総称。ヒューリスティクスを拡張した概念 |
| 創発 | 個々の要素の相互作用が全体に影響し、新たな性質や現象が生まれること |
| 超個体 | 多数の個体の群れが、一つの個体のようにふるまう生物集団(蟻の巣など) |
「生物がある程度賢く振舞って生き残るので、その賢さをAIや機械学習の最適化の部分に応用するという考え方です。」
――伊庭教授
なぜ今、進化計算が注目されるのか――ディープラーニングを補う「もう一つのAI」
ディープラーニングだけでは解けない問題がある
現在のAIの中心はディープラーニングです。しかし伊庭教授は「それだけではできない部分もある」と指摘し、別のAI手法で補う研究を続けてきました。とくに、正解データが存在しない問題や、複数の評価軸がトレードオフになる設計問題では、進化計算のような探索型の手法が力を発揮します。
生成AIの急成長は「創発」で説明できる
魚や蟻の群れには、全体を見渡す「神の視点」を持つ個体はいません。それでも群れとして集まると、賢く問題を解いたり生き残ったりします。これが創発です。なぜ創発が起こるのかはまだ完全には解明されていませんが、「あるレベルを超えると、なぜだか問題が解けてしまう」現象が確認されています。
この考え方は生成AIにも当てはまります。パラメーター数やデータ量がある閾値を超えた瞬間に、それまで解けなかった問題が急に解けるようになる――「最近の生成AIは、まさに創発だ」という見方もあるのです。さらに、神経(パラメーター)が増え続けることで、蟻の巣のような「超個体」のように、知能を超えた超知能(ASI)に至るという考え方もあります。
「生成AI×進化計算」は最新の研究テーマ
伊庭教授の研究室では現在、生成AIと進化計算を組み合わせる研究が中心テーマの一つです。LLM、進化計算、群知能などの「合わせ技」で、生成AIの最適化に取り組んでいます。
進化計算の仕組みを4ステップで解説【新幹線N700系の事例】
進化計算の流れを、伊庭教授が紹介する新幹線の先頭形状(フォルム)設計を例に見ていきましょう。先頭形状は「風の抵抗を減らしたい」一方で、抵抗ばかりを優先すると客室スペースが削られ乗客を乗せられなくなる――という、複数の指標のバランスを取る必要がある典型的な最適化問題です。
STEP 1 候補を大量に用意する(初期世代の生成):さまざまな設計のフォルム案を大量に作ります。どれが良いかは事前にわかりません。
STEP 2 評価してランク付けする(選択):シミュレーションで各案を評価し、成績の良いものほど多くの「子ども」を残せるようにします。
STEP 3 交叉と突然変異で次の世代を作る:成績の良い親同士の一部を交換して掛け合わせ(有性生殖に相当)、さらに一部をランダムに変形させます(突然変異)。
STEP 4 世代交代を繰り返す:親の良いところを受け継ぎつつ少しずつ変化した世代を繰り返し生み出すことで、集団全体の成績が段々と上がっていきます。
新幹線N700系では、こうした淘汰や選択といった遺伝的な要素を組み込んで5000通り以上のシミュレーションを行い、先頭形状「エアロ・ダブルウィング」が生まれたとされています。その結果、ノーズを長くして客室を狭めることなく騒音や振動を抑え、最高速度300km/hを実現しました(出典:乗りものニュース)。
「実際に新幹線で数式を立てて一生懸命計算して設計するよりも、最初に思いついた幾つかを進化計算の考えで構成していくことで良いものができてきた、というのが新幹線のフォルムの成功例です。」
――伊庭教授
成功のカギは「ランダム性」
伊庭教授は、進化計算で重要なのはランダムであることだと強調します。どれが良いかは前もってわからないからこそ、ランダムな変化を繰り返すことで良い解が実際に現れてきます。これは生物の進化とまったく同じ原理です。
最終判断は「シミュレーション→実機」で行う
生み出された案の良し悪しは、まずシミュレーション上で評価し、信頼性のある案が出てきたら実際に作って実機で実験します。ロボットの場合は、シミュレーションと現実の差を埋めるために実機上で再学習し、そのデータをもとに進化をやり直すこともあります。
進化計算のビジネス活用:3つの領域
① 設計・形状の最適化――人間が思いつかない解を生む
進化の面白さは、人間が思ってもみなかったものを設計する点にあります。カンブリア紀には、眼が5つある生物のように人間の想像を超える進化がいくつも起きました。ロボットでも、機械工学の専門家なら絶対に設計しないような形が、実際にはうまく動くことがあります。伊庭教授は、これを「ある意味での想像力」だと表現します。
② ロボット・金融・ゲームAI・医療画像解析
伊庭教授は、ヒューマノイドロボット、金融、ゲームAI、医療分野やセキュリティの画像解析、X線解析などの応用研究を企業と共同で進めています。いずれも「正解が一つに決まらない」「評価軸が複数ある」という共通点を持つ領域です。
③ 生成AIのプロンプト最適化
LLMは汎用性が高い一方で、出力の質が入力するプロンプトに大きく依存します。伊庭教授によれば、これは最適化の非常に素直な応用例です。プロンプトそのものを最適化の対象とし、LLMの出力と望む回答を比較して成績をつけ、改善を繰り返します。
さらに一歩進めて、人間の言葉では表現できない内部表現(ベクトル)レベルのプロンプト=ソフトプロンプトまで最適化すると、より高度なことが可能になります。伊庭教授の研究室では、ChatGPTやGeminiをAPI経由で利用し、公開モデルをファインチューニングしながら研究を行っているほか、画像生成に使われる拡散モデル(ディフュージョンモデル)も活用しています。
「正解が一つに決まらない」業務こそ、AIで最適化を
需要予測にもとづく仕入れ・在庫計画や、申請・承認などの業務フロー――正解が一つに決まらない業務課題こそ、AIによる最適化が効果を発揮します。DEFiDEの社内業務クラウド「SmartOps」は、需要予測やAIエージェント、AI-OCRを活用して業務の効率化と改善を支援します。基本機能はずっと無料で、必要な機能だけを追加できます。
進化計算・AIを活用する際の注意点と限界
① AIの判断は「説明」できないことがある
Google DeepMindの囲碁AI「AlphaGo」は囲碁の王者を破りましたが、その打ち筋を見たプロ棋士から「これが本当に囲碁なのか」という声が上がったのは有名な話です。人間の理解を超えた点では超知能の片鱗と言えますが、なぜその手が良いのかをAIが説明できないことが、現在のAIの限界であり難しさだと伊庭教授は指摘します。
② LLMは誤った情報を出し、バージョンで挙動が変わる
LLMはもっともらしい誤りを出力することがあり、新しいバージョンが出るとそれまでのプロンプトが通用しなくなることもあります。業務でLLMを使う場合は、社内の文書やデータを根拠として回答させる仕組み(RAG)を用意し、回答の出どころを確認できるようにしておくことが重要です。
社内データを根拠に答えるAIチャットボットなら
DEFiDEの「chai+」は、社内文書を参照して回答するRAG型のAIチャットボットです。生成AIの「もっともらしい誤り」を抑えながら、問い合わせ対応やナレッジ共有を効率化できます。
③ シミュレーションと現実にはギャップがある
シミュレーション上で最適だった解が、現実でもそのまま最適とは限りません。ロボット研究では、実機で再学習し進化をやり直すことで差を埋めています。ビジネスでも、AIの出した答えを小さく実地検証するプロセスを組み込むことが欠かせません。
④ 「超知能」への過度な期待は禁物
「2027年にはコーディングで80%の信頼度が出てくる」といった予測に対し、伊庭教授は「ある程度懐疑的」だと語ります。コーディングなど専門的作業の一部は実現できる可能性がある一方、直感や想像力といった人間らしい部分まで、現在のLLMの延長で実現できるかは疑問だといいます。
また、生命は賢くなるために生きているのではなく、生き残った結果として進化してきたにすぎません。身体を持たず「知る」という概念も理解していない現在のAIには、この「生き残り」の仕組みはまだ実現できていないと伊庭教授は指摘します。
「本当に人間しかできないことをAIと協働して模索することが重要だと思います。」
――伊庭教授
よくある質問(FAQ)
Q. 進化計算とは何ですか?簡単に教えてください。
A. 進化計算とは、生物の進化の仕組み(選択・交叉・突然変異)をコンピュータ上で再現し、最適な答えを探し出すAI手法の総称です。多数の候補を用意して評価し、成績の良い候補を掛け合わせたり一部を変化させたりしながら世代交代を繰り返すことで、集団全体の性能を少しずつ高めていきます。
Q. 遺伝的アルゴリズムと進化計算の違いは何ですか?
A. 進化計算は、生物進化に着想を得た最適化手法全体を指す総称です。遺伝的アルゴリズム(GA)はその代表的な手法の一つで、候補を「遺伝子」のように表現し、交叉と突然変異によって次の世代を生み出します。
Q. 群知能とは何ですか?どんな例がありますか?
A. 群知能とは、一つひとつは単純なルールで動く個体が集まることで、集団全体として高度な問題を解決する現象、またはそれを応用したAI手法です。蟻や蜂、魚の群れが代表例で、誰も全体を見渡していないのに、群れとして効率よく餌を探したり生き残ったりします。
Q. メタヒューリスティクスとは何ですか?
A. メタヒューリスティクスとは、生物の群れや物理現象などの考え方を利用して最適化問題を解く手法の総称です。「必ずではないが大体うまくいく」経験則であるヒューリスティクスを拡張した考え方で、進化計算や群知能もここに含まれます。
Q. 進化計算はどのような分野で使われていますか?
A. 新幹線の先頭形状のような工業設計のほか、ヒューマノイドロボットの動作生成、金融、ゲームAI、医療やセキュリティ分野の画像解析などで研究・活用されています。近年は生成AIのプロンプト最適化など、生成AIと組み合わせる研究も進んでいます。
Q. 生成AIと進化計算はどう関係していますか?
A. 二つの接点があります。一つは、生成AIの性能がパラメーター数やデータ量がある閾値を超えると急に向上する現象が、進化計算の研究テーマである「創発」として説明されること。もう一つは、プロンプトや内部表現を進化計算で最適化するなど、生成AIの性能を引き出す手段として進化計算が使われていることです。
Q. AIはいずれ人間の知能を超える(超知能になる)のでしょうか?
A. 伊庭教授は、コーディングなど専門的作業の一部はAIで実現できる可能性がある一方、直感や想像力といった人間らしい部分まで現在のLLMの延長で実現できるかには懐疑的な立場です。AlphaGoのように人間の理解を超える振る舞いには超知能の片鱗があるものの、その判断を説明できない点が現在のAIの限界だと指摘しています。
まとめ:進化計算は「正解のない問題」に挑むAIの考え方
- 進化計算とは、選択・交叉・突然変異という生物進化の仕組みで最適解を探すAI手法の総称
- 群知能やメタヒューリスティクスと合わせ、ディープラーニングだけでは解けない問題を補完する
- 新幹線N700系の先頭形状のように、複数の評価軸を両立させる設計で実績がある
- 生成AIの急成長は「創発」として説明でき、プロンプト最適化など両者の融合研究も進んでいる
- 一方で、説明可能性やシミュレーションと現実の差など、活用には注意点もある
伊庭教授が語るように、大切なのは「本当に人間にしかできないこと」を見極め、AIと協働していくことです。後編では、AIリテラシー教育のあり方や、日本がAIで世界と戦うための道筋について伺います。
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