名古屋大学 大学院情報学研究科 准教授
藤井 慶輔(ふじい けいすけ)氏
PROFILE
名古屋大学 大学院情報学研究科 准教授(取材時)。2014年京都大学大学院人間・環境学研究科で博士号を取得。名古屋大学総合保健体育科学センターの日本学術振興会特別研究員(PD)、理化学研究所革新知能統合研究センター研究員などを経て、2021年より現職。2020〜2024年、科学技術振興機構(JST)さきがけ研究者。2026年より株式会社サイバーエージェント Sports AI Tech Lab, Founding Lead(クロスアポイントメント)。機械学習とスポーツアナリティクスの融合などを研究。著書に『AI時代のスポーツアナリティクス』(東京大学出版会)など。
熟練者の技能は、その動きを映像やデータで捉えられれば、スポーツの動作解析と同じアプローチでAIが解析できる可能性があります。
製造業をはじめ、多くの現場では熟練者の技能が暗黙知のまま受け継がれてきました。名古屋大学の藤井慶輔准教授は、言葉にしにくい身体の動きをデータで捉えるスポーツアナリティクスの研究から、ビジネスの技能伝承や評価指標づくりに通じるヒントを示します。
本記事では、藤井准教授へのインタビュー(聞き手:デフィデ株式会社 代表 山本哲也)をもとに、AIを活用したスポーツアナリティクスの課題、「デジタルモデリング」という構想、技能伝承にAIを生かすための条件、人とAIの境界線、そしてAI時代の評価指標の見極め方を解説します。
この記事でわかること
・AIを活用したスポーツアナリティクスの最大の課題
・再現するだけでなく意思決定に使える「デジタルモデリング」
・AIで技能伝承ができる作業、難しい作業の違い
・人とAIの判断の境界線をどう引くか
・万能の評価指標がない中で、組織に必要な指標を見抜く力
AIを活用したスポーツアナリティクスの課題は「人」
AIを活用したスポーツアナリティクスの課題として、藤井准教授がまず挙げるのは、使える人が少ないことです。AIはあくまで手段であり、必ずしも使う必要はありません。しかし、データを自動で取得する、予測する、100試合、1,000試合を定量的に評価するといった、人間にはできない作業ではAIが必要になります。
| データの種類 | 内容と課題 |
|---|---|
| 映像 | スマートフォンでも高画質に撮れるようになったが、そこからデータを取り出すには技術が要る |
| 選手の位置データ | 試合中の選手の位置を記録したデータ。一部の限られたリーグやチームしか利用できない |
| イベントデータ | パス、シュート、ドリブルなどの位置や種類のデータ。現在のAI技術でも完全な自動取得は難しい |
さらに、生のデータを自由自在に扱い、そこから知見を得て、チームが本当に欲しいものを提供できる人がまだ少ない。技術そのものより、データを現場の価値に変える人材の存在こそが、AI活用の鍵を握っているのです。
再現するだけでは知見にならない――「デジタルモデリング」構想
藤井准教授はかつて「スポーツのデジタルツイン」という言葉を使っていましたが、最近は「デジタルモデリング」と表現しています。場面を再現するだけでなく、評価や提案まで数値で行うことを目指しているからです。
| デジタルツイン的な再現 | デジタルモデリング | |
|---|---|---|
| 目的 | 試合の場面を三次元で再現し、自由な視点で見られるようにする | データを、人が理解し意思決定に使える形に変換する |
| 得られるもの | 選手の座標データ(そのままでは知見になりにくい) | 評価や提案につながる情報 |
| 前提となるデータ | 選手の身体の形まで取得できる、ごく限られた大会 | 限られたデータをフルに使い、本当に欲しい情報に変換する |
国内のリーグでも、サッカーでは選手を点で表した位置データがある一方、バスケットボールにはないなど、データの状況はさまざまです。あるデータを最大限に使い、本当に欲しい情報に変換する――それが究極的な姿だと藤井准教授は語ります。スポーツの現場でも、ゴールやオフサイドの判定などで機械と人間が協調する技術が導入され、ルールや運用は細かく変わり続けています。
AIで技能伝承はできるか――「動き」が撮れるかが分かれ目
聞き手の山本は、製造業などで暗黙知として受け継がれてきた技術を形式化するヒントを尋ねました。藤井准教授は、今の大規模言語モデルだけでは、細かな身体運動の領域には入り込みにくい点に注意が必要だと前置きしたうえで、次のように整理します。
| 作業の特徴 | AI解析のしやすさ | 考え方 |
|---|---|---|
| 動いている様子を映像やデータで捉えられる | しやすい | スポーツの動作解析と同じようなアプローチで解析できる場合が多い |
| 止まって行う作業で、センサーでも捉えにくい | 難しい | 思考や体の内部で起きていることは、映像やセンサーでは取りきれない |
| テキストにできる知識 | しやすい | 大規模言語モデルが発達しているため、言葉にすればAIで扱える |
| 座って行う作業 | 条件次第 | 脳活動など、動きの中では取れない情報を計測できる場合がある |
必要なアウトプットが「動き」として表れる作業なら、AIで解析しやすい。一方で、動きの多くはテキストにできないため、言語モデルだけに頼るのは難しい――技能伝承にAIを生かすには、まず対象の作業がどのタイプかを見極めることが出発点になります。
技能伝承は、多くの企業にとって待ったなしの課題です。国立社会保障・人口問題研究所の推計では、生産年齢人口(15〜64歳)は2020年の7,509万人から2040年には6,213万人に減ると見込まれています。
| 年 | 生産年齢人口(15〜64歳) |
|---|---|
| 2020年(実績) | 7,509万人 |
| 2040年(推計) | 6,213万人 |
出典:国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(令和5年推計)」出生中位(死亡中位)推計
言葉にできる技能は、AIで引き出せるナレッジに
手順やコツのうち、言葉にできるものはマニュアルや社内文書として残すことで、AIが活用できるようになります。DEFiDEの「chai+」は、社内の文書やマニュアルを参照して回答するRAG型のAIチャットボットです。熟練者の知識を、誰もがすぐに引き出せるナレッジとして継承できます。
人とAIの判断の境界線は、現場ごとに引く
AIにすべてを委ねず、人間の判断を組み込むヒューマン・イン・ザ・ループの考え方で、問題になるのはその境界線です。スポーツでは、プレイするのは人間であり、ルールやその運用も人間が決める。この前提は変わらないと藤井准教授は言います。
審判の役割の一部をAIが担う場面もありますが、運用が厳密に決められていても、それがうまくいっているかには議論の余地があります。上手さの評価となると、さらに難しくなります。
「一般論では難しいですが、その現場ごとにその境界線を引いていくのは、確かに重要だと思います。」
――藤井准教授
AIは、正しいかどうかにかかわらず、何でも出力できるようになりました。だからこそ、何を信頼して、どう次の意思決定につなげるかが、あらゆる分野で重要になっています。組織の体制や構造の中で、本当に使える情報が、必要なコミュニケーションにぴたりとはまる形で使われていくのが理想だと藤井准教授は語ります。
万能の評価指標はない――組織に必要な指標を見抜く力
藤井准教授の研究で注目されるのは、得点に直接関わらない地味なプレイの価値も評価しようとしている点です。聞き手の山本は、営業のように数値化しやすい仕事と、数値化しにくいバックオフィスの仕事の評価をどうするかという、ビジネスの人事評価に重ねて問いかけました。
サッカーでも、得点やアシストといった誰にでもわかる指標から評価が始まりました。しかしそれでは、守備に貢献する動きや味方を助ける動きが評価されないため、さまざまな評価方法が提案されてきました。すると次に生じるのが、数多くの指標の中で、この組織に本当に重要なものは何かという問題です。
「気をつけないといけないのは、万能の評価指標はない場合が多いことです。」
――藤井准教授
万能ではない可能性を常に頭に入れながら、現場の暗黙知とすり合わせ続けることが大切です。指標が次々と生まれる今、求められるのは、組織にとって本当に何が重要かを見抜く力だと藤井准教授は語ります。
AIの分析結果を判断する人に必要なこと
データ分析の専門家ではない人が意思決定者になる場合、何が求められるのでしょうか。藤井准教授は、AIのアルゴリズムや実装をすべて理解する必要はないとしたうえで、次の点を挙げます。
- データの正確さ:測ったデータが、どこまで正確なのか
- 結果の不確実性:出てきた分析結果に、どれだけ不確実性があるのか
- 指標の妥当性:本来測るべきことに沿った指標になっているか
これらをチェックし、違和感を持てるかどうかが大事になっていくといいます。
よくある質問(FAQ)
Q. AIで熟練者の技能を伝承できますか?
A. 藤井准教授は、動いている様子を映像やデータで捉えられる作業であれば、スポーツの動作解析と同じようなアプローチで解析できる場合が多いと述べています。一方、体の内部で起きていることや思考は映像やセンサーでは捉えきれず、止まって行う作業は難しいとしています。言葉にできる知識であれば、大規模言語モデルを使うアプローチもあります。
Q. スポーツの「デジタルモデリング」とは何ですか?
A. 試合の場面を三次元で再現するだけでなく、そのデータを人が理解し、意思決定に使える形に変換し、評価や提案まで数値で行うという構想です。藤井准教授は、選手の座標データを再現するだけでは知見は得られないため、データを本当に欲しい情報に変換することが重要だと述べています。
Q. AIと人間の判断の境界線はどこにありますか?
A. 藤井准教授は、スポーツではプレイするのは人間であり、ルールやその運用も人間が決めるという前提は変わらないとしています。そのうえで、AIが正しいかどうかにかかわらず何でも出力できるようになった今、何を信頼して次の意思決定につなげるかが重要で、その境界線は現場ごとに引いていく必要があると述べています。
Q. 数値化しにくい仕事はどう評価すればよいですか?
A. サッカーでも、得点やアシストだけでは守備や味方を助ける動きが評価されないため、さまざまな評価方法が提案されてきました。藤井准教授は、万能の評価指標はない場合が多いことを前提に、数多くの指標の中から「この組織に本当に重要なものは何か」を見抜き、現場の暗黙知とすり合わせ続けることが大切だとしています。
Q. AIの分析結果を判断する人には何が必要ですか?
A. 藤井准教授は、AIのアルゴリズムや実装をすべて理解する必要はないとしたうえで、データがどこまで正確か、結果にどれだけ不確実性があるか、本来測るべきことに沿った指標になっているかをチェックし、違和感を持てることが大事だと述べています。
まとめ:技能も評価も、「何を捉え、何を重視するか」から
- AI活用の鍵は技術そのものより、データを現場の価値に変える人材の存在
- 場面を再現するだけでなく、意思決定に使える形に変換する「デジタルモデリング」が重要
- 技能伝承では、動きを映像やデータで捉えられる作業はAIで解析しやすい。言葉にできる知識は言語モデルで扱える
- 人とAIの境界線は一般論ではなく、現場ごとに引いていく
- 万能の評価指標はない。組織に本当に重要な指標を見抜き、データの不確実性に違和感を持てる力が求められる
後編では、「もしも」を比較してプレイの価値を測る「反実仮想」、データが少ないときの工夫、説明可能なAIと信頼、そしてAIとの向き合い方について伺います。
組織に合った「評価の物差し」で人を育てる
数値化しやすい成果だけでなく、組織にとって本当に重要な行動や貢献を評価することが、人材の定着と成長につながります。DEFiDEの「JOB Scope」は、目標管理や評価、スキルの可視化を通じて、組織に合った人材マネジメントを支援するタレントマネジメントシステムです。
▶ 前編:スポーツアナリティクスとは?データが「ゲームの構造」を変える仕組み
▶ 後編:反実仮想とは?「もしも」を比較して見えない価値を測る
▶ インタビュー全文:AIで拓くスポーツとビジネスの未来(中編)
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